高取なんぞ、どうしたんでありますか。一昨日から帰らないんであります。どこを探しても見つかりません。」
「なに、それを訊ねてどうするんだ! 木谷! お前、高取に何の用があるんだい?」
急に、重藤中尉は、険しい眼に角を立てて声を荒だて木谷に詰めよってきた。木谷をも、また銃殺しかねない見幕だった。
「用があるさ。戦友がどうなったか気づかうのはあたりまえじゃないか!」傍で、中尉と木谷の応酬を見ていた柿本は、決意と憤怒を眉の間に現わしながら、ぬッと、銃を握って立ちあがった。
巻脚絆を巻いたり、煙草を吸ったりしていた兵士たちも緊張した。向うの隅でも銃を取って立ちあがると、ガチッと遊底を鳴らして弾丸をこめる者があった。
「こら、柿本、そんなことをして何をするのだ?」と中尉は云った。
「何をしようと、云う必要はないだろう。」
重藤中尉は正真正銘の、力と力との対立を見た。中尉は、一個小隊を指揮する力を持っているつもりだった。だが、今、彼は、一兵卒の柿本の銃の前に、一個の生物でしかなかった。ちょうど、一昨日、武器を取り上げた高取や、那須や、岡本などが、一個の弱い生物でしかなかったように。そこで、彼はまた、翻然と、狡猾な奥の手を出した。彼は、柿本から、五六歩身を引くと、
「さア、整列! 整列! 皆な銃を持って外へ出ろ!」
と叫びながら、寄宿舎から逃げるように駆け出してしまった。
「畜生! 将校の面さげて糞みたいな奴だ!」
兵士たちは、口々に、憤って罵った。
柿本は、少し、馬鹿で、大まかな高取のことを思った。あの竹を割ったような、愉快な奴が、どこへ行ったのだろう。馬鹿のようで、本当は、決して馬鹿じゃなかった。工人達に、真ッさきに接近して行き出したのも高取だった。そして工人と友達のように仲がよくなってしまった。日露戦争や、日清戦争には、兵士達は、命を投げ出した。今は、居留民の生命財産の保護に命をかけている。しかし、そのいずれもが、真赤な嘘である。それを、まッさきに云い出したのも高取だった。
「実際、俺等にゃ、支那人をやっつけることばかりしかやらせやしないじゃないか。」と高取は云った。そして、柿本に、親しげな、同感をよせる態度で普利門外のおばさんの家は、どうなったかと訊ねた。
その時、柿本には、まだ、おばが、文字通りに着のみ着のまゝでS銀行に避難して、五ツの娘は、殺されていた、ことは分っていなかった。地下の秘密室にかくして置いた銀貨まで、あとで帰って行ってみるとなくなっていた。それも分っていなかった。
「普利門は、一番、被害のひどかった方面じゃないか。」
「そうらしいんだ。まだ、見に行くことも出来ねえんだ。」「俺等は、何のためにここへ来とるんだね?――折角やって来て、自分の肉親さえ、保護することも見ることも出来ねえって、……身体だけでも無事でいてくれればいゝがね。」
「うむ、気にかゝって仕様がないんだ!」
「俺等が、わざわざここまでよこされて、本当の親がいるとしてもだ、その親を守ることさえ出来ないんだぞ。……これが真相だよ。これが現在の、われ/\の置かれている位地の真実の姿だよ。大金を持っている奴等だけしか守られはしないんだ。そのために、俺等を犠牲にすることは、いくら犠牲にしたって、なんとも思っちゃいないんだ。」と高取はつゞけた。「ここで、工場を守らしながら、工人は、いじめつける。南軍は、追ッぱらわす。満洲の利益は、ちゃんと、これで確実に握りしめて置こうと考えているんだ。満洲が、奴等にとっちゃ、一番大切なんだからね。俺等は、月七円かそこらの俸給を貰うだけだよ。そして生命は、只で大ッぴらに投げ出してあるんだ。利益は何にもありゃしない。内地へ帰れば、やっぱし稼がなければ、金は取れやしないよ。満洲の防壁となってやったって、一生涯、遊ばして食わしちゃくれやしめえ。……実際居留民の保護だけなら、何故、こんな不便な、きたないマッチ工場の南京虫がうようよしている寄宿舎に入れて置くかね? 小学校だって、居留民団だって、KS倶楽部だって、もっときれいな、大きい建物がいくらでもあるんだ。そして、そっちの方が便利なんだ。それを、工場に置くのは、工人を圧えつけるためと、工場を守らす以外に、どこに理由が見出されるかね。」
柿本は、高取の放胆な話しッ振りに似ず、しみ/″\とした心持になった。
「俺等が支那を叩きつける役に使われて、工人や百姓の運動を、邪魔すりゃ、邪魔するほど、俺等の内地の暮しが苦るしくなるんだ。」また高取は、そんな話もした。「支那を弾圧してニコニコしているのは大金持だけだよ。大金持は、それで、また、金を儲けら。……金を儲けりゃ、その金を使って内地で俺等をからめ手から押しつけるんだ。どっちにしたって、俺等だけが部分的によくなるちゅうことはあり得ない
前へ
次へ
全62ページ中59ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
黒島 伝治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング