殺し合いをやる最下級の彼等は、殺すことが誰れのためだか、その判断がつかなくなるのだった。何者かに取ッつかれたようだった。
同胞の日本人が惨殺された。掠奪された。天井裏の板一枚まで剥ぎ取られた。と、彼等は、その現象だけを問題とした。そして、一人が殺されたその倍がえしをせずにいられない、憤怒と、情熱と、復仇心を感じた。
その憤怒と、その情熱と、その復仇心とが、いわゆる「敵」をやッつけるのに最も重要な要素となるのは、争われなかった。
この情熱によって、彼等は、市街戦で殺された日本人の約十五倍の支那人を血祭りにあげていた、屍体を蹴とばした。
何のために、それをやったか! 誰のためにそれをやったか!
三〇
翌々朝、六時。
大陸の焼けつくような一日は、既に始まっていた。
兵士たちは、マッチ工場の白楊材置場の片隅に整列した。
敏感な重藤中尉は、上官の直視を避けるような兵卒の眼つきに注意をとめた。動揺と、士気の沮喪と、いや/\ながら行動する煮え切らないものを彼は見た。前々から兵卒の間に醸《かも》されていた険悪な空気を彼は感じた。即座に、誰かゞ、かげにかくれて、何かやっているな! と思った。
勇敢で、単純で、感情的な重藤は、自分の扱っている兵卒の要求と、本能を直感的に見抜く鋭敏な才能を持っていた。
彼は、その自分の感じによって、兵卒が、上官の眼の行き届かないかげで、何かこそこそやっているのを知っていた。たちが悪い。明かに信服しなくなっている。高取は、職長を殴りつけて、工人への給料を全額、暴力で払わしていた。それ以来、少くとも、五六人の兵タイは、国家のために出征しているのか、工人と一ツとなって不届き至極なことをやるために来ているのか区別がつかなくなっていた。彼は、中でも、特に、高取に最も注目していた。なお、多くの兵士らも、自身から、高取の言説に心をひかれている。それも分った。それには、理由がなければならない!
人事をやっている特務曹長もこれに気づいていた。特曹は、支那の共産党員と、何か共謀して事をたくらんでいると、重大視していた。しかし、重藤は、その点、どうせ兵卒のやることだ、どんなにしたって、大したことは出来ない、と高をくゝっていた。
彼は、整列した兵士たちの眼に、動揺と、不安と、ある意気地なさを見ると、すぐ原因を高取らのこそ/\に帰した。そして、こんな日に限って負けるんだ。と考えた。無数の負傷者が出るんだ。大きなしくじりをやるんだ! 彼は顔をしかめた。
高取は、一番最後に、巻脚絆を巻き直して、靴を引きずり、整列に加わろうとしていた。彼は高取につめよった。横合いから、頬を殴りとばした。故意に、兵士達、皆んなに見えるところでやった。
「おい、高取、なまけるな!」
「……。」
「お前は、国のために働くのが嫌いなのか? そんな奴は謀叛《むほん》人だぞ。」そして、もう三ツぶん殴った。
「分ったか?」
「……。」
高取の眼は、眼窩からとび出して、前へ突進して来るように燃えていた。何のためにいきなりやられるのか訳が分らなかった。
中尉は、高取の眼が気に喰わなかった。ぷーンとした態度が満足できなかった。
「こらッ! 不真面目にすると、お前のためにならんぞ!」と、彼は呶鳴った。
「どうしたんでありますか。」
「こらッ! 高取やめろ!」彼は軍刀をガチャッと鳴らした。「俺れは、お前の腹の中を見すかして居るんだぞ。お前のやっとることは、何一ツ残らず知っとるんだぞ。お前は、自分で、何をやっとるかその恐ろしさを知らんのだ。」
「何も、やって居りはしねンであります。」
高取は、一寸、まごついた。が、すぐ、光った眼で中尉を見つめた。
「よせ!」重藤は、儼然と云った。「俺れは何もかも知って居るんだぞ!」
「はい、何ですか?」
償勤兵となった彼は、これまでにも、幾度か殴られた。蹴られた。指揮刀が歪むほどひッぱたかれた。彼は、何回となくそれを忍んできた。ほかの者だって、そんなに異いはしなかった。
「こうして、この結果、俺等が現にやらせられているのは、何であるか? 自分で、自分の頸を縛ることだ! それ以外のなんでもない! 兵タイほど、人のいゝ馬鹿な奴はない。」
兵士たちは、高取を殴るのは、高取一人を殴るのではない。自分たち、全体をも殴るのだ! と感じた。おどかしにやっているのだ。彼等は、顔色が変った。
敏感な重藤は、正確な晴雨計のように、すぐ、それに気づいた。兵士たちが、色めいて、変に動揺しだしたのを眼にとめた。もうこれ以上殴りすえては、却って、藪蛇になる。部隊全体に対して。と感じで意識したが、語調の行きがかりが、意識を裏切った。高取は、上をむいて何か云おうとした。中尉はそれを遮った。
「一体、お前らは、何事を考えだしているんだい
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