機関銃の角をはやし、地響きを立てて疾駆してきた。犬がうろつく。
「チエッ! こういうことをやるからいけない!」
 山崎は、頭から、自動車の土塵埃にまかれて、親方が弟子の失策を不満がるように舌打ちをした。彼は、彼として深い計画を持っていた。彼は、そのために苦心した。利用し得る人間は、誰れでも利用した。中津も利用される株だった。
「こういうことをやるからいけない。勝とうと思えば、まず負けろ! だ。」
 彼は中津にむかって呟いた。
「勝つも負けるもねえじゃないか、そこらの蟻は、大砲を持ってきて、一となめに、なめッちまえばいゝじゃないか!」
「それが……すべて、仕事には、大義名分が立たなけゃ、勝っても、勝った方が負けとなるんだよ。」
「君等のやることはいつも面倒くさいね!」
 山崎は、中津の剛胆さ、支那人の間にきく顔の広さを好いていた。それは、利用できる一ツの財産だ。しかし、この一とすじものでないゴロツキは、ほかの空想に夢中になって、彼の相談に乗ろうとしなかった。それが気に喰わなかった。
 ――顧祝同が、津浦線停車場と、無電局を占領している。それは、甚だ危険なことだった。それは最もひどく山崎を悩ました。本国や、世界各国に送る報道は、彼の思う通りのものでなければならない。そのためには、多少の捏造《ねつぞう》があってもかまわなかった。その通信機関を顧祝同が握っている。それから、蒋介石は、これ以上、天津、北京にむかって進軍させる訳には行かなかった。満洲を確保する上から最もいけないことだ。そこで、何か、大義名分が必要となってくるのだ。云いがかりといってもよい。それを作るのには、中津のようなゴロツキを手さきに使うのが一番いいのだ。
 将校が、横の通りからとび出してきた。
 小ぜり合いは、おさまってしまった。二人は、のぞきの看板だけを見物した馬鹿者のように、東興桟の方へ歩いた。
「おい、子供のような、あんな娘さんへの日参はよして、ちっと、俺の仕事でも手伝えよ。」山崎は冗談のように切り出した。
 中津は、道を歩きながら、すゞの、手や、脚や、肩や、鼻、口もとなどの美点を夢中に数えあげるようになっていた。彼は、彼女を誘かいする計画を空想に描いてたのしんでいた。その計画がどんなに滑稽なものであるか。その結果がどうなるか、そんな点は、考えなかった。彼は、遮二無二、娘を奪い出そうと考えていた。そして、それを、計画し、空想するのが愉快だった。中津は、山崎が、すゞのことを云いだしたついでに、こころよげに、にこ/\しながら、自分の計画を打ちあけた。
「君は、一体いくつだね?」と、山崎はきいた。
「五十三さ。」
 別に、中津は不思議がらなかった。
「あの娘ッ子は、君の子供ぐらいの年恰好なんだよ。恐らく、君の三分の一しか年はとっていまい。」
「それがいゝんじゃないか。君には、俺れのこの気持が分らないんだ。あの、軟らかい、子供々々したところが、とてもたまらなくいゝんじゃないか。俺れゃ、この年になるまで、あんな娘は見たことがない。何と云っていゝか、……俺れの全存在を引きつけるような、とても、なんとも云えん気持なんだ。」
「いゝ年をして、生若い、紺絣の青年のようなことを云ってら!」
「そんな軽々しい問題じゃないよ。俺れゃ、君がどう云ったって、この決心は、やめられやせん。」
「ふふふッ、」山崎は冷笑した。「ちょっと、可愛いゝ娘ではあるが、……しかし、君なら、あの娘のおッ母アが丁度持って来いだ。あの婆さんと夫婦なら似合ってら。どうだい、あの親爺はヘロ中で領事館に叩ッこまれとるし、婆さんをひとつもの[#「もの」に傍点]にしちゃどうだい? それなら、俺も手を貸してやるよ。」
「冗談はよせやい。――あんな腐れ婆にゃ、あき/\していら。何と云ったって、俺れゃ、処女でなけゃ駄目なんだ! 処女の味は、また、特別なもんだ! 二度とあんな娘は手に入れやしない!」

 小山は支那家屋の兵士たちに、糞喰え! のような顔をして、そこを立ち去った。捕まえられた工人は彼のあとにつゞいた。

     二五

 竹三郎は、領事館警察の留置場から、S病院に出た。
 彼は、瀬戸引きの洗面器の縁で、自分の足の小趾《こゆび》をぶち切った。
 それで留置場から出ることが出来た。内地から来たての、若い外務省巡査が、しけこんだような顔をして、彼を監視して病院へついて来た。
 マッチ工場で、蒋介石の抗議による守備区域の障害物の撤退、南軍と、日本軍との衝突の危険、などについて、軍隊自身よりも、支配人が気をもんだ。社員は、朝からそわそわした。
 工人が、北伐兵の過激派と策応しないとも限らない。十時頃、幹太郎は、親爺が、S病院に出たことを知らされた。
 お母《ふくろ》と、だぶ/\の詰襟の支那人が、咎めたてる巡警をつきのけて、い
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