。
村で、間もなく麦が実ることを思い、すこし、ボケかけた親爺がどうしているかな、――と考える者もあった。
「王洪吉《ワンコウチ》の女房、こないだ、女の子供、産んだ。」
日本語の分る時以礼は、人のよげな、いくらか顔にしまりがない、落胆した、恨めしげな王を指して、兵士達に話した。
「ふむ、お産をしたんだね。」
二十人あまりの兵士の視線が、王一人に集中された。王はかくれてしまいたげな、気の弱い表情をした。
「王、ゼニない、女房ゼニない。職長ゼニ呉れない。」
「ふむ、賃銀をよこさないんだね。工場が。」
「王のおッ母ア、上の子供をおんぶして、工場へ泣いて来る。社員、おッ母アと、王とあわせない。」
「ふむ。」
「ゼニやれない、やるゼニない。」
「ふむ。」
「女房、飯、食えない。ちゝ出ない。赤ん坊泣く。」
「ふむ。」
「赤ン坊、六日間、泣き通した。女房、腹がへる。湯ばかりのむ、湯、腹がおきない。眼まいする。十日目、朝、赤ン坊泣かない。起きて見た。赤ン坊、死んでいる。おッ母ア、工場へ飛んできた。それでも巡警、王にあわせない。柵のすきまから、おッ母ァ、話をした。王、なかできいていた。王、家へ帰れない。職長、一歩も、門から出さない。」
「ふむむ!」
王洪吉には、日本語が分らなかった。しかし、彼は、時以礼が、兵士達に何を話しているか、兵士達と、時以礼の、緊張した表情からそれを看取した。
「――買い取られた子供、もっともっとひどい。」と時以礼はつゞけた。「働く、働く、ゼニ一文も呉れない。髪|剪《つ》めない。手拭買えない。正月、十五銭呉れるだけ。子供、一年、二年、三年働く。いつまでも働く。いつまでも正月に十五銭だけ。いつまでも外へ出られない。三年間、一日もここから出ない者十八人。働くばかり。希望、一ツもない。絶望する。九ツ[#「ツ」は底本では「ッ」]か十の子供、子供なりに、死ぬ方がましと考える。黄燐、ぬすんでのむ。二月、死んだ子供二人。三月、死んだ子供四人。黄燐のむ、腹のなか焼ける。苦るしい。細い、小さい子供の身体、皮と骨だけになって、脚かたかたになっていた……社員、職長笑う。支那人、意気地なし、面《つら》あてに死ぬる。意気地なし……。」
「ふむむ!」
兵士達は、息がつまりそうに唸った。
二一
幹太郎は、工人達と、接触する機会を奪われた。
受持の浸点作業と、乾燥室から、事務室の計算係にまわされた。彼は帳簿に頸を埋めた。朝から晩まで、ソロバンばかりはじいていた。これは、寛大な処置だったのである。
親爺は、十日をすぎて、まだ、領事館警察の留置場から出てきなかった。
ヘロのきれたその肉体は、地獄よりもツラかった。監視巡査の恥じッかゝしと、軽蔑ばかりの中で、恥をかまっていられず、疼《うず》くような呻吟をつゞけていた。
工場では、幹太郎を、不穏な工人の肩を持つものと睨んだ。支配人も、職長も、古参の社員も、嫌悪した。支那人ならとっくに頸が飛んでいるところだろう。日本人同志で大目に見られた。
総工会《ソンコンホイ》系の煽動者が、市中に潜入している。それは、単なる噂ではない。事実である。そして工場は内外共に多事だった。
いつの間にか、外塀や、電柱に、伝単がベタベタ貼りさがされていた。
漫画の入った伝単が、製粉工場に振りまかれた。
火柴公司《ホサイコンス》では煽動者の潜入を警戒した。工場の出入は、極度に厳重になった。内部の者を外へ出さないばかりでなかった。外部の者を、一人も内部へ入れなかった。そして、内部と外部との境界線は、武装した兵士と、雇い巡警によって二重に守られた。
「いずれ、俺の頸がとぶのも近いうちのこった!」
これを口の内で呟くと、幹太郎の表情は淋しげになった。
彼は、軍隊の到着以来、小山が、気に喰わない工人達に、虱つぶしに、リンチを加えるのを目撃していた。一つは、それは彼にあたっている。
工人は、ぬれた皮の鞭でしぶきあげられ爪の裏へ針をつき刺されるばかりではなかった。
ある者は、電話をかけていた。と、そのうしろから、ふいに送話器の喇叭状の金具をめがけて、急激に、ドシンと突きつけられた。壁の電話がガチャンと鳴った。鼻が送話器にお多福饅頭のようにはまった。顔の中央は、鼻梁が真中から折れて、喇叭の型に円く窪んでしまった。血の玉がたらたら垂れた。ある者は、十字架に釘づけにされるように、脚を宙に浮かして、アカシヤの幹から枝にかけて縛りつけられた。
「私、生意気者で、油売り、横着者で、悪者で……これが見せしめ……これが見せしめ……。」
アカシヤに縛りつけられた工人は、枝にぶらさがったまま、一千回繰りかえさせられた。うらなりのトマトのような少年工が、その樹の下で、回数をかぞえた。繩が四肢や胴体に喰いこんでいる。もがけば、
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