。――云ったら、情報料をくれますか? 五円でいゝですよ。たった五円でいゝですよ。」
「出すさ、物によっちゃ出すさ。」
「呉れなけりゃ、山崎さん、儲かりすぎて、金の置き場に困るでしょう。」
 山崎は、唇から気に喰わん笑いをこぼした。
「何だね?」
「――土匪が出たんですよ。昨日、※[#「さんずい+樂」、第4水準2−79−40]口《ロンコー》の沼へ鴨打ちに行ったら、土匪がツカ/\っと、六、七人黄河の方からやって来たんですよ。」
 幹太郎は笑い出した。
 情報料は冗談だと云いたげな、罪のなげな笑い方をした。
「乗って行った自転車を打っちゃらかして逃げて来たんですよ。ケントの上等だったんですがな。」
 山崎は、出て来る苦笑をかみ殺していた。国家(?)の安否にも関係する重大なことをあさっているのに、何ンにもならんことで茶化すんねえ! そんな顔をした。それに気づいた幹太郎は、彼の方でも、次第に硬ばった、不自然な笑い方になった。
 そこへ、胴ぐるみの咳をつゞけながら小山が出て来た。
 一日分の請取り仕事を終った工人達は、色のあせてしまった顔で出口ヘやって来はじめた。幹太郎は、山崎と一緒に事務室へ歩いた。工人は一日の作業高を出勤簿に記入して貰う。食事札を受取る。そのどよめきと、せり合いが金属的な支那語と共に、把頭《バトウ》の机の周囲で起った。
 あたりは薄暗くなっていた。
「ここじゃ、相変らず温順そのものだな。」
 山崎は、もみ合っている工人達をじろりと一瞥《いちべつ》した。そしてささやいた。
「そこどころか、……幹部にまで不穏な奴があるんだから。」
 小山が答えた。
「ふむむ、総工会のまわし者がもぐりこんどるかどうかは、なか/\吾々日本人にゃ分からんもんだ。用心しないと。」
「なに、そんなもぐりこみなら、囮《おとり》を使やアすぐ分るさ。」
「ところが、此頃は、その囮に、又囮をつけなきゃあぶなくなっていますよ。」
「チェッ! 如何にも訳が分らねえや。」
 小山はつゞけて咳をした。そこらへ痰を吐きちらした。
 三人は事務室へ這入った。そこも燐や、硫黄や、塩酸加里などの影響を受けて、すべてが色褪せ、机の板は、もく目ともく目の間が腐蝕し、灰色に黝《くろ》ずんでいた。
 三円で払下げを受けた一|挺《ちょう》の古鉄砲を、五十円で、何千挺か張宗昌に売りつけた仲間の一人の内川は、憂鬱で心配げな暗い顔をして二重硝子の窓の傍に陣取っていた。その顔は、この工場と同じように、規則正しくかたまって、乾き切っていた。これが支配人である。
「なんだ、あんたが来ると馬鹿に大蒜《にんにく》くさいや。」
 内川はブッキラ棒に笑った。その笑い方までが乾燥していた。
「それゃありがたい。これで大蒜の匂いがすりゃ、支那人と一分も変りがないでしょう。どうです?」
 山崎は、自慢げに、幇間《ほうかん》のような恰好をした。
「自分でそう思っていれば、それが一番いゝや、世話がいらなくって。」
「我和中国人不是一様※[#「口+馬」、第3水準1−15−14]《ウンホツンゴレンブシイヤンマ》。怎※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]不一様《ソンモブイヤン》、那児有不一様的様子《ナアルブイヤンテヤンス》?」
 急に山崎は支那語で呶鳴った。どこが俺ゃ支那人と異うのだ――というような意味だ。しかし、それは、明かに冗談でむしろ、内川を喜ばす一つの手段の如く見えた。
 彼は、古鉄砲でウンと儲けた内川から約束通りのもの[#「もの」に傍点]をせしめようと念《こころ》がけていた。今にも出してよこすか、今か、今か、と待っていた。――幹太郎は、それを知っていた。
 それは、実に、見ッともないざまだった。
 彼は、飢《う》えた宿なしの犬のように、あらゆる感覚を緊張さして、どこでも、くん/\嗅ぎまわっていた。自分より新米の者の前では、すっかり、その本性の野獣性を曝露する小山は、支配人が居るとまるで別人になった。無口に、控え目になった。山崎は、内川に使われている人間でないだけ、まだ、無雑作で平気だった。しかしそれも、故意に無雑作をよそおっていた。無雑作のかげから、迎合する調子がとび出した。
 小山は、支配人が興味を持つことなら、もう十年間も土地《つち》を踏んだことのない内地の、新聞紙上だけの政治にも、なか/\興味をよせた。――よせた振りを見せた。
 彼は、内川の暗い顔を見て、すぐそれに反応した。
「めった、今度は去年あたりよりゃあいつ[#「あいつ」に傍点]らの景気がいいと思ったら、独逸が新しい武器を提供しとるそうじゃありませんか?」
「うむむ。」
 内川は唸った。
「どれっくらいですかな? その数量は?」
 今朝来たばかりの封書の口を引っぺがしてぬすみ見した。ぬすみ見して、その数量
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