るものではない。敵を極悪《ごくあく》に宣伝しなければならない。第三者の同情を引かなければならない! 彼はこれをよく知っていた。……
彼の友達の中津が、まッさきに、侵入して掠奪した家は、十王殿に、バラバラの空骸となって残っていた。これがきッかけとなったのは、彼にとって、もッけの幸いだった。乞食がそこへ這入っていた。第一回の掠奪の後、放りさがされて散らばっている、壊れ椅子や、アンペラや、柄が折れた娘の洋傘を盗み出していた。全く俺はこのきッかけをうまうまと利用したものだ。
「そうだ、これが猪川の家だっけ。」と彼は他人事のように呟いた。
「ここを南軍の奴等が掠奪したのが、戦争のもとになったんだ! そうだ。非は南軍にあるんだ!」
この得手勝手な男はその前に立ち止った。壊れた厚い壁のかげで、乞食はこそこそやっていた。
「おい山崎さん!」
耳に不快な記憶のある声が背後でした。
「ああ、陳先生《チンセンショ》!」
ドキリとしたものを、山崎は取りつくろった。
S大学へ学生に化けてしのびこんだ。それ以来、酬いを約束しながら、幾度かはぐらかして一元も渡さずにいる陳長財《チンチャンツァイ》だった。
「どうです。景気はどうです?」
――陳は複雑な笑い方で山崎を見た。
「あゝ、そいつか、――そいつは、また今度だよ、このどさくさに、そこどころじゃねえんだ。」
「また今度? また今度?」陳は繰りかえした。「……何回でもそんなことが云えた義理じゃあるめえ!」一歩を山崎に詰めよった。誰の力で、アメリカの秘密を具体的に掴むことが出来たんだ! 誰の力で貴様が手柄を立てたんだ! その眼はそう云っているようだった。
「厄介な奴がついて来やがった!」と、山崎は考えた。
「いっそのこと、この、どさくさまぎれに、片つけッちまおうか。」
彼は、歩き出した。
陳はあとからついて来た。
どこまでも、尾行のように、あとについてきた。館駅《コアンイチエ》街に出た。緯《ウイ》一|路《ル》へ曲る角にきた。山崎の右の手は、前後左右に眼をやったかと思うと、大褂児《タアコアル》のポケットに行った。
次の瞬間、豆がはじけるような、ピストルの響きが巷に起った。殆んど同時に、陳長財の手元にもニッケル鍍金のものがピカッと光った。
しかし陳は、引鉄《ひきがね》を引くひまがなかった。ピストルを持った手を壊れた屋根の方へさしあ
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