たじゃなくってボーイやほかの野郎ですよ。」
「いや/\なか/\そうとばかりは行かないんだ、そうとばかりは……。」
支那人は、誰でも、一号か、二号か、三号か、どれかがなければ、一日だって過して行けなかった。そんな習慣をつけられていた。
督弁《トバン》でも、土豪劣紳でも、苦力《クリー》でも、乞食でも。一号、二号、三号……というのは阿片、ヘロイン、モルヒネなどの暗号だ。
拒毒運動者はそれと戦った。
その輸入は禁止されていた。その吸飲も禁止されていた。
彼等に云わすと、阿片戦争以来、各国の帝国主義が支那民族を絶滅しようとして、故意に、阿片を持ち込むのだ。それにおぼれしめるのだ。しかし、いくら禁止しても、その法令は行われなかった。網の目をくゞる。
没収されても罰金をとられても、又別の方法で持って来る。メリケン粉の中へしのびこましたり、外の薬品にまぎれ込ましたり、一人、一人の腹に巻きつけたり。どうにも、こうにも防ぎきれなかった。山崎はそれを知っていた。
若し、内川が持って来なくっても、それは、ほかの誰れかゞ持って来るのにきまっていた。
若し、日本人が持って来なくっても、独逸人か、ほかの外国人かゞ持って来るにきまっていた。――山崎は、そこで、内川を援助する理由を見つけた。誰かゞ持って来て欲求を満してやらなけりゃ、中毒した支那人が唸り死んじまうだろう。それなら彼は同胞に味方すべきだ。仏蘭西人や、独逸人は、むしろ、図太く、平気の皮でむちゃくちゃな数量を、輸入していた。六千トンの船にいっぱい積みこんで来たりした。それに較べると日本人は、こせ/\したあの内地のように、あまりに小心に、正直にすぎる。……
だが、内川は、例外的にケチン坊で、不当に、むくいなかった。山崎はつむじを曲げた。
彼は、内川とS銀行の高津が、鉄砲で、どれだけ掴んだかを知っていた。
硬派は軟派よりはもっと仕事が困難だった。すべてを絶対に秘密にやらなけりゃならなかった。支那官憲は極度にやかましかった。軟派が曝露して罰金や牢屋ですむところを、硬派は命をかけなければならなかった。武器を持っていて見つかることは、支那では命がけの仕事だ。これこそ本当の軽業の綱渡りだった。古い錆のついた小銃弾を、ほかの屑物と一緒に買い取った屑屋が、何気なくそれをいじっていて、そこを巡警に見咎められ、ついに死刑にされたことさえあ
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