と歩いてきた。
彼等は、昔、本国から極東へ逃げ、シベリアから支那へ落ちのびて来た。着のみ着のまゝの彼等の服装は、もう着破って、バンド一条さえ残っていなかった。が、彼等は、金がなくても、どこからか、十年前の趣味に合致した服や外套を手に入れてきた。汚れた黒い毛皮のコサック帽も、革の長靴も、腰がだぶつき、膝がしまっている青鼠のズボンも、昔に変らぬものを、彼等は、はいていた。
頭も肩も、低い支那人から遙かに高く聳《そび》えていた。
「今月は、いくら月給を貰ったい?」
支那服の大褂児《タアコアル》の男が、彼等と並んで歩き乍《なが》ら、話しかけていた。これは山崎である。
「一文も貰わねえや。」
「先月は、いくら貰ったい?」
「先月だって、一文も貰わねえや。」
「先々月は?」
「先々月だって一文も貰わねえや。」
「ひっぱたいたれ!」支那服の山崎は声をひそめた。「かまうもんか、ひっぱたいたれ! あの大男の張宗昌のぶくぶく肥っている頬ッぺたをぴしゃりとやったれよ。」
白露兵は、ふいに、愉快げに上を向いて笑いだした。
彼等は、頭領のミルクロフが、張宗昌に身売りをした、そのあとについて、山東軍に買われて来た。いつも、せいの低い、支那馬にまたがり、靴を地上にひきずりそうにして、あぶない第一線ばかりに立たせられた。ある者は、戦線で、弾丸にあたって斃《たお》れてしまった。ある者は、びっこになり、片目になり、腕をなくして追っぱらわれた。ある者は、支那人の大蒜《にんにく》の匂いに愛想をつかして逃亡した。仲の悪い支那兵と大喧嘩をした。
彼等が戦線からロシヤバーに帰って来る時、皮下の肉体にまで、なまぐさい血と煙硝の匂いがしみこんでいた。
「畜生! 女郎屋のお上《かみ》に、唇を喰いちぎられそこなった張宗昌が何だい! 妾ばっかし二十七人も持ってやがって!……かまうもんか。ひっぱたいてやれ!」
白露兵は、なお嬉しげに上を向いて笑った。
彼等の眼のさきの、マッチ工場のトタン塀に添うて、並んでいるアカシヤは、初々《ういうい》しい春の芽を吹きかけていた。
そのなお上には、街の空を、小さい烏が横腹に夕陽を浴びて、嬉しげに群れとんでいた。
二
工場は、塵埃と、硫黄と、燐、松脂《まつやに》などの焦げる匂いに白紫ずんでいぶっていた。
少年工と少女工が、作業台に並んで、手品師の如く素早く
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