った。歩哨の疑念は晴れぬらしい。カンテラの光に、兵士たちが蠢《うご》めいていた。
「軍曹殿! こいつ南軍の密偵であるかもしれません。顔つきと、言葉が随分あやしいんであります。」
 面倒なことになってしまった、小山は、あれだけ工場で軍隊を世話してやっていながら……と、何か矛盾するようなものを感じた。
「いよう、どうしたんです?」聞き覚えの声が暗い隅の方からだしぬけに呼びかけた。
「あゝ、山崎(しゃきと出た)さん!」小山は、すぐ密偵の山崎だと悟った。助かった!
 彼は、歩哨への面あてに、特に、山崎と親しいことを見せつけようとして、蠢めく兵士達を横柄にまたいで握手した。
 黒い支那服の山崎は、同様な支那服の中津と並んで、片隅の、眠《ね》むげな軍曹の前の長い腰掛に腰かけていた。
「どうしたんです?」
「ここの兵タイら、これゃ、わッしゅの工場で厄介を見とる、あの兵タイじゃないんでしゅね。」如何にも兵士など、わしの風しもに立つべき奴等なんだ! と云わぬばかりの語調で小山は口を切った。彼は、朝、早くから、逃亡した工人を追っかけて、汚穢物乾燥場の、汚穢の乾物を積重ねてある蓆俵《こもだわら》のかげに、すなんでいたのを掴まえてきた話をした。
「あれでしゅよ。あれでしゅよ。」
 入口で、眼をウロ/\やりながら、慄えている、よごれて蒼い支那人を指さした。二十一歳だった。額に三ツの瘤があった。ついさきほど、彼に殴られて出来た瘤だった、紅く血がにじんでいた。
「間のぬけた野郎もあったもんだね。張宗昌の兵タイにだって、逃げて捕まるような馬鹿はいねえだ。」中津は嘲笑した。「いっそ、オトシちゃどうです。ほかの奴等に、又とない、ええ薬となりますぞ。」
 中津の殺伐な眼は、舌なめずりでも始めそうにかゞやいた。
 小山は眼を細めて反対しなかった。兵士が顔をあげて、今更、珍らしげに中津を見た。
 睨み合いと、石の飛ばしあいをやっていた方向で銃声がした。みな、耳を傾けた。山崎と中津は急いで外に出た。山崎は、最前から軍曹に云いつけて置いたことを、も一度念を押した。
「は、は。」
 軍曹は、暗がりの中で、彼の背にむかって頭をさげていた。
 通りで、浮浪漢が、銃声の方向へ物ずきに馳せて行く。纏足が、その方向から逃げて来る。又、銃声がした。まもなく、この小衝突の一方を敷きつぶしてしまうかのように、灰色の装甲自動車が、
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