ていないのは母だった。それが、彼は不満だった。母は、わざと、中津を家に引き入れているように見えた。彼は母と対立した。その気持は、知らず/\、言葉となって母が感じたかもしれない。
ある晩、マッチ工場の社宅に、六畳の物置が一と間だけ、あけて貰えるから、そこへ金目のものだけを持って避難していてはどうか、と話していた。母は、突然、中津を好きやこのんで家へ引っぱりこんでいるのではないんだ、と云いだした。幹太郎は、その鋭鋒が、自分にあたって来るのを感じた。
「一体なんで気持をこじらしているんだろう? おッ母アが、中津と通じたとでも、俺が、一度でも、もらしたためしがあるんか?」と幹太郎は思った。「馬鹿らしい、見当ちがいだ!」
彼は、こんな場合の例で、黙りこんでしまった。
「嫌いなら、なんにも、社宅へなんか行かなくってもいゝんだ。」
彼は、簡単に云った。それ切り黙りこんだ。母は、ヒステリックに、嫁に来て以来、竹三郎のことや、お前達のことを心配しない日は一日だってないんだ。それを、支那へまでやってきて、こんなツラさをするのは一体誰のせいだ! と泣き狂いになった。
変に、家の中の機構が、トンチンカンになった。
翌晩、幹太郎は、妹がいるところで、
「いつまで中津先生、逃げ出さずに止《とどま》っているんだい。捕虜ンなっちまうぞ。」と云った。
「もう、張宗昌について行くのはやめたんだってよ。」
「何故だい?」
「何故だか知らないわよ。」と俊は、工場から、途中を誰何されながら帰ってきた兄に答えた。
「ずっとここに止っているんだってよ。」
「いつそれを云っていた? いつそれをきいた?」
「界首から帰った日にそう云っていたわよ。もう一週間も前に。――兄さんきかなくって?」
「俺が、何をきくか! 貴様、なぜ、それを俺れにかくしていた。」彼も、ヒステリックに呶鳴った。
「――あいつがいつまでも、ここに止っているのは、(彼は、ます/\いら/\しながら、)すゞをつけねろうてだぞ!」
「いやだわ。」俊までが、パッと紅くなった。「そんなことを云うもんじゃないわ。」
「馬鹿! 馬鹿! 貴様ら、親爺が、まだ出て来られないのを嬉しがっとるんだろう!」どうしたのか、幹太郎の機構までが狂ってしまった。二人の妹を睨んで、蹴とばすように呶鳴りつけた。「親爺と俺れがいないから、あんな奴が、のさばりこんでけつかるんだ
前へ
次へ
全123ページ中90ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
黒島 伝治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング