けが肥大して行くことだ。親爺は昔、学校の建築費を、町の芸妓へ注ぎこんだ村会議員をあばこうとした。そのことのために、却って坂の上から、突き落されてしまった。そして、転落がはじまった。
――最後の、もうそれ以上落ちるべき段階がないところまで、落っこちてしまわなければ承知されはしない! と、彼は思った。これは、人生の運とか、マンとかいうものじゃない。大きいやつが、かばわれるために、小さいやつが落っこちるのだ。そのために、われわれは皆んな、トコトンまで落っこちてしまわなければならないのだ! しかし、いつかは、巨大な大建築が土台石から、がた崩れに、くずれてしまう時が来る。来るにきまっている。
彼は、大根ナマスのように、白楊の素地が軸刻機にきざまれて軸木の山が出来て行く、刻作業部を通りぬけて、用材置場から、薄暗い兵士のいない宿舎をちょっとのぞいた。
背嚢や、毛布や、天幕や、外套が、乱雑に畳まれて、ごちゃごちゃと並べられていた。口をあけられた空鑵には、煙草の吸い殻が、うじ虫のようにつまっている。工人の大蒜や葱の匂いと、兵士の汗と革具の匂いが交錯して、寄宿舎の厚い重たい壁についているようだった。
彼は靴のツマさきで歩きながら、東側のアカシヤのある入口の方へ通りぬけた。と、何か、バラバラと脚にふれるものがあった。見ると、それはビラだった。おやおやと思いながら、もう一度、そこを入念に眺めまわした。同じような恰好に畳まれた外套の畳み目や、毛布や、天幕の間にそれぞれ紙片がはさまれてあった。紙片は畳み目の中にかくれて見えないのもあった。が、また畳み目から舌のようにそのはしが見えているのもある。彼は、その一枚を取って見た。
それは蝎《さそり》のように怖がられている伝単だった。
「へええ!」厳重極まる警戒線をくぐりぬけて、いつのまにこんな伝単が持ちこまれたか幹太郎には不思議だった。
伝単には次のようなことが書かれてあった。彼はよんだ。
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日本人兵士諸君
日本帝国主義ブルジョアジーハ、諸君ヲシテ、銃ヲ携エ砲ヲ持チ、急速ニ山東ノ地ニ来ラシメタ。而シテ、支那ノ軍事的分割ハ、既ニ始メラレタ。
諸君ハ、日本居留民ノ生命ヲ保護スルタメニ来タノデアルカ。居留民ノ財産ヲ守ルタメニ来タノデアルカ? 否、断ジテ否! 思イ見ヨ、諸君ハ、現ニ、商埠遙ニ散在シテイル貧窮セル居留民
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