から、事務室の計算係にまわされた。彼は帳簿に頸を埋めた。朝から晩まで、ソロバンばかりはじいていた。これは、寛大な処置だったのである。
親爺は、十日をすぎて、まだ、領事館警察の留置場から出てきなかった。
ヘロのきれたその肉体は、地獄よりもツラかった。監視巡査の恥じッかゝしと、軽蔑ばかりの中で、恥をかまっていられず、疼《うず》くような呻吟をつゞけていた。
工場では、幹太郎を、不穏な工人の肩を持つものと睨んだ。支配人も、職長も、古参の社員も、嫌悪した。支那人ならとっくに頸が飛んでいるところだろう。日本人同志で大目に見られた。
総工会《ソンコンホイ》系の煽動者が、市中に潜入している。それは、単なる噂ではない。事実である。そして工場は内外共に多事だった。
いつの間にか、外塀や、電柱に、伝単がベタベタ貼りさがされていた。
漫画の入った伝単が、製粉工場に振りまかれた。
火柴公司《ホサイコンス》では煽動者の潜入を警戒した。工場の出入は、極度に厳重になった。内部の者を外へ出さないばかりでなかった。外部の者を、一人も内部へ入れなかった。そして、内部と外部との境界線は、武装した兵士と、雇い巡警によって二重に守られた。
「いずれ、俺の頸がとぶのも近いうちのこった!」
これを口の内で呟くと、幹太郎の表情は淋しげになった。
彼は、軍隊の到着以来、小山が、気に喰わない工人達に、虱つぶしに、リンチを加えるのを目撃していた。一つは、それは彼にあたっている。
工人は、ぬれた皮の鞭でしぶきあげられ爪の裏へ針をつき刺されるばかりではなかった。
ある者は、電話をかけていた。と、そのうしろから、ふいに送話器の喇叭状の金具をめがけて、急激に、ドシンと突きつけられた。壁の電話がガチャンと鳴った。鼻が送話器にお多福饅頭のようにはまった。顔の中央は、鼻梁が真中から折れて、喇叭の型に円く窪んでしまった。血の玉がたらたら垂れた。ある者は、十字架に釘づけにされるように、脚を宙に浮かして、アカシヤの幹から枝にかけて縛りつけられた。
「私、生意気者で、油売り、横着者で、悪者で……これが見せしめ……これが見せしめ……。」
アカシヤに縛りつけられた工人は、枝にぶらさがったまま、一千回繰りかえさせられた。うらなりのトマトのような少年工が、その樹の下で、回数をかぞえた。繩が四肢や胴体に喰いこんでいる。もがけば、
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