、工人がもう一カ月も、この工場の一廓から一歩も外へ出ることを許されずにいるのを知った。月給を貰っていなかった。幼年工のなかには、一番年下の、六歳になるものが七人もいた。その五人までは、十元か十二元で、永久に買いとられた者だった。そんな子供が、やせて[#「やせて」に傍点]、あばら骨が見えるような胸を、上衣をぬいで、懸命に、軸木を小函につめていた。マッチの小函を握りかねるような、小さい手をしていた。
腰掛の下にもう一ツ、台を置いて貰わないと、仕事台に、せいが届かなかった。
「俺等も、やっぱし、これぐらいな六ツか七ツの時から、仕事をしろ、仕事をしろと、親爺に叱られて育ってきたものだ。」と、夜中の一時頃に起きて仕事にかゝる、製麺屋の玉田は、幼時のことを考えていた。「しかし、俺等は、身体ぐち売られやしなかった!」
工人の多くは田舎の百姓上りだ。それが、百姓をやめて工人となっていた。百姓は、工人よりも、もっとみじめだった。
百姓は、各国の帝国主義に尻押しをされて、絶えまなく小競合《こぜりあい》を繰りかえす軍閥の苛斂誅求《かれんちゅうきゅう》と、土匪や、敗残兵の掠奪に、いくら耕しても、いくら家畜をみずかっても、自分の所得となるものは、何一ツなかった。旱魃《かんばつ》があった。雲霞《うんか》のような蝗虫《いなご》の発生があった。収穫はすべて武器を持った者に取りあげられてしまった。
ある者は、土地も、家も、家畜も売り払って、東三省へ移住した。多くの者が移住した。――その移住の途中で、行軍する暴兵に掴まって、僅かの路銀を取りあげられた。そして、それから向うへは行けなくなった。そんな者が工人として這入りこんでいた。
ある者は、家族を村に残して出稼《でかせぎ》に来ていた。残っている家族は、樹の根をかじったり、草葉を喰ったりしていた。石の粉を食って死ぬ者もあった。
「あの、俺の町の、場末の煤煙だらけの家に残っているおッ母アも、手袋を縫って、やっと、おまんまを食っているんだ。」と、のんきな、馬鹿者の高取も、しみじみした気持になった。
「……こうっと、六十三歳にもなっていたかな。……もう、皺だらけのおッ母アのところへ遊びに来る助平爺もあるめえ! 誰れも相手にしちゃ呉れめえ! 手袋を縫うだけで、腹いっぱい飯が食えるかな。」
兵士達は、ここの工人と、自分等の内地に於ける生活とを思い較べた
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