た土地を勿体ながって開墾に出かけた。仕事ははかどらなかった。
土地の方が、今度は彼を見捨てゝしまった。
田も畑もすべて借金の抵当に這入っていた。そして、電鉄が中止ときまってからは、地価は釣瓶落ちに落ちた。親爺は、もう、彼の力では、大勢を再びもとへ戻すのは不可能だと感じたのに違いない。彼は、なお、土地を手離すまいと努力した。金を又借り足して利子を払った。しかし、何年か前、彼に、土地を売りつけに来た熊さんは、矢のように借金の取立てに押しかけて来た。土地を売ッ払ッて仕末をつけてしまうように、無遠慮な調子で切り出した。
昔、彼が、破産した男の土地を、値切り倒して面白がって買ったように、今度は、若いほかの男が、彼の土地を嬲《なぶ》るように値切りとばした。二束三文だった。
親爺は、もう、親爺としての一生は、失敗であり、無意義であり、朴訥と、遅鈍と、阿呆の歴史であった、と感じたのに違いない。彼の一代の総勘定はすんでしまった。そして残ったものは零《ゼロ》である。
彼は、死んだ。その一生のつとめを終ってしまった樹木が、だん/\に、どこからともなく枯れかけて、如何なる手段を施しても、枯れるものを甦らすことは出来ないように死んでしまった。
土地も借金も同時になくなってしまったことを僕は喜んだ。せい/\とした。虹吉は、K市から帰って来た。
それからおふくろが死んだ。おふくろは、町にいる虹吉のことを、巡査が戸籍調べの振りをして、ちょい/\訊きに来るのを気に病んでいた。巡査は、虹吉のことだけを、根掘り葉掘り訊きたゞした。妻はあるか、何をしているか、そして、近々、帰っては来ないか。――近々帰っては来ないか? これだけは、いつ来ても訊くことを忘れなかった。
おふくろは、息子が泥棒でもやっているのではないか、そんな危惧をさえ抱かせられていた。
僕等は、さっぱりとした。田も、畠も、金も、係累《けいるい》もなくなってしまった。すきなところへとんで行けた。すきな事をやることが出来た。
トシエの親爺の伊三郎の所有地は、蓬《よもぎ》や、秣草《まきぐさ》や、苫茅《とまがや》が生い茂って、誰れもかえり見る者もなかった。
僕と虹吉は、親爺が眠っている傍に持って行って、おふくろの遺骸を、埋めた。秋のことである。太陽は剃刀のようにトマトの畠の上に冴えかえっていた。村の集会所の上にも、向うの、白い製薬会社と、発電所が、晴れきった空の下にくっきりと見られるS町にも、何か崩れつゝあるものと、動きつゝあるものとが感じられた。
僕には、兄が何をやっているか、それは分っていた。
虹吉は、おふくろを埋葬した翌日、あわたゞしげに村をたって行った。
[#地から1字上げ](一九三〇年五月)
底本:「黒島傳治全集 第二巻」筑摩書房
1970(昭和45)年5月30日第1刷発行
入力:大野裕
校正:原田頌子
2001年9月3日公開
2006年3月23日修正
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