三郎の家に火をつけた。が、それは、火事とならずにもみ消された。小作人も、はずされた仲間の方についた。伊三郎の田は、六月の植えつけから、その三分の二は耕されず雑草がはびこるまゝに荒らされだした。
だが、それから間もなくだった。
「や、大変なこっちゃ。これゃ、何もかもわや[#「わや」に傍点]じゃ!」
親爺はぴっくりして、鶏の糞だらけの鶏小屋の前で腰をぬかしていた。
「どうしたんじゃ? どうしたんじゃ?」
「これゃ、わや[#「わや」に傍点]じゃ。 何もかもすっかりわやじゃ。来てくれい! どうしよう? どうしよう?」
親爺は腰がぬけて脚が立たなかった。彼が鶏に餌をやろうとしていた時、KS電鉄の重役が贈賄罪で起訴収容され、電車は、おじゃんになってしまったことを、村の者が知らしてきたのである。
「何だ、そんなことで腰をぬかすなんて!」
僕は立つことの出来ない親爺を見ながらなぜか、清々とするものを感じるのだった。
村は、歓喜の頂上にある者も、憤慨せる者も、口惜しがっている者も、すべてが悉く高い崖の上から、深い谷間の底へ突き落されてしまった。喜ぶことはやさしかった。高い所から深いドン底へ墜落するのは何というつらいことだろう!
荒された土地には依然として雑草が繁茂し、秋には、草は枯れ、そこは灰色に朽ち腐った。
一〇
やがて親爺が死んだ。
慶応年間に村で生れた親爺は、一生涯麦飯を食って、栄養不良になることも、早く年を取り、もうろく[#「もうろく」に傍点]することもかまわずに、たゞ、いくらかの土地を自分のものとし、財産を作って、子供に残してやろうと、そればかりを考えていた。
死ぬ前には、親爺はぼれ[#「ぼれ」に傍点]ていた。若い時分、野良で過激に酷使しすぎた肉体は、年がよるに従って云うことをきかなくなった。
親爺は、肥桶《こえおけ》をかついだり、牛を使ったりするのを、如何にも物憂げに、困難げにしだしていた。米俵をかつぐのは、もう出来ないことだった。晩には彼は眠られなかった。四肢がけだるく、腰は激しい疼《うず》くような痛みを覚えた。昔は自分の肉体など、感じないほど、五体が自由に動いたものだった。それが、今は、不思議に身体全体が、もの憂く、悩ましく、ちょっと立上るのにさえ、重々しく、厄介に感じられた。
夜があけると、彼は、鍬をかついで、よぼ/\と荒らされ
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