を割って見せない農民の生活を十分、委曲をつくして表現し得ているとはいえない。
 ブルジョア文学になると、もっと農民を、ママ子扱いにしている。島崎藤村の「千曲川のスケッチ」その他に、部分的にちょい/\現れているのと、長塚節の、農民文学を論じる時にはだれにでも必ずひっぱりだされる唯一の「土」以外には、ほとんど見つからない。たまたま扱われているかと思うと、真山青果の「南小泉村」のように不潔で獣のような農民が軽薄な侮べつ的態度で、はな[#「はな」に傍点]をひっかけられている。その後のブルジョア文学は、一二の作品で農民を題材としていることがあっても、ほとんど大部分が主として、小ブルジョア層や、インテリゲンチャにチヤホヤして、農民をば、一寸、横目でにらんだだけで素通りしてしまった。それはブルジョア文学としては当然であるが、彼等が、一杯の麦飯にも困難する農民、そして彼等が常食とする米を作りだしている農民と、彼等の文学が何等の関係をも持たなかった。そして、彼等の文学は、手の白い、労働しない少数の者にさゝげられた文学であったことを、その小ブルジョア的作家態度と合わせて、はっきりと物語る以外の何ものでもない。題材として、そのものを取りあげないということは、そのものに対する無関心を意味する。
 大正十三年か十四年頃であったと思う。吉江喬松、中村星湖、加藤武雄、犬田|卯《しげる》等がそれまでの都市文学に反抗していわゆる農民文学を標ぼうした農民文学会をおこした。月々例会を持った。会員は恐らく二三十人もいたであろう。しかし、そこから農民を扱って文学的に実を結んだのは佐左木俊郎一人きりであった。佐左木俊郎はいわゆる農民作家らしい農民作家である。農民の生活を知っている。極めて農民的な自然な姿において表現する。が、あれだけ農民、農村を知りながら、かくまで農民が非人間的な生活に突き落され、さまざまな悲劇喜劇が展開する、そのよってくる真の根拠がどこにあるかを突きつめて究明し、摘発することが出来ないのは、反都市文学のらち内から少しも出なかった農民文学会の系統を引いた作家的立場に原因していると思う。現在では、作家個人として労働者農民に関するどういう委しい知識、経験を持っていようとも、階級的な組織の中で訓練されなければ、生きた姿において正しく、それを認識し表現することが出来なくなり大衆現実から取残されて変な方
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