無産階級を奮起させる。プロレタリアートの戦争に対する態度は、その両方ともが、「夜」に於て最もよく現わされている。
アメリカの社会主義作家、アプトン・シンクレエアは、「義人ジミー」に於て、帝国主義戦争に対する、プロレタリア階級のいろ/\な意識の内訌を書いている。一面では、シンクレエアが欧洲大戦当時、彼自身がとった、少なからぬ苦悶の後に武器を肯定した心の位置を書いたものであるという。
欧洲諸国間の帝国主義戦争の危機が次第にはげしくなって行くと、それらの国々に於ける社会主義者や戦闘的労働者は、この戦禍に対する反対運動を開始した。それは、やがてアメリカの社会主義者をも立たせ、ジミーの属するリースヴィル社会党支部も演説会を開き、反対した。が、欧洲の黄金王や軍人は、とうとう自国の奴隷どもを戦場へ追いやってしまった。而してアメリカへは、それらの国々から武器の注文が殺到して、殆んどすべての工場は、武器工場に早変りした。ジミーが働いているグラニッチ老人のエムパイヤ工場も、武器工場に改造された。
ジミーは、自分の手で造られているものがドイツに於ける同志を打ち殺す砲弾であることに気づいて、重大な疑問にぶつかった。インタナショナリストであり、社会主義者であるジミーが、そういう武器を作ることが、立派な行為であろうか? そうして、惨忍な掠奪の分け前として、グラニッチ老人がくれる一時間四|仙《セント》の増給を受け取ってもいいものであろうか。この問題は、アメリカの農夫が作る小麦までが、英国に買い上げられ、ドイツの同志を打ち殺すイギリス兵士の胃の中に這入っていることを知るまで、彼を悩ました。武器の注文は益々増大して賃銀は昂騰した。それは、ついに、ジミーのような正直な社会主義者をすら有頂天にした。が、貸銀が上るにつれ、物価が上ってきた。そこで工場では、不平と非難の声が高まった。
「ストライキ! ストライキ!」
それから工場を馘首され、ジミーは、郊外のある農夫の下働きに雇われた。
そのうちに、ロシアには革命が起って、プロレタリアートが、自分の力で平和をかく得した。がドイツでは、ロシアへ進軍した。米国の社会主義者は、世界で唯一のプロレタリア国ロシアをふみにじっている独逸を倒すという範囲内で大戦に参加する者が出来てきた。
憎むべき独逸軍をやっつけるべきか、軍国主義に反対すべきか! 二つの絶対に相
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