に傍点]た親爺さんか、不具者になった息子か、眼が悪い幼児をかゝえていた。女達はよく流産をした。子供は生れても乳がなくなって死んで行くのが少くなかった。
役員はたび/\見まわりに這入って来た。彼等の頭上にも鉱石は光っていた。役員は、それをも掘り上げることを命じた。
「これゃ、支柱をあてがわにゃ、落盤がありゃしねえかな。」脚の悪い老人は、心配げにカンテラをさし上げて広々とした洞窟の天井を見上げた。
「岩質が堅牢だから大丈夫だ。」
老人はなお、ざら/\に掘り上げられた天井の隅々をさぐるように、カンテラを動かした。キラ/\光っている黄銅鉱の間から、砂が時々パラ/\パラ/\落ちて来た。
「これゃ、どうもあぶなそうだな。」
「なに、大丈夫だよ。」
彼等は左右に掘り拡げた。同時に棚を作って天井に向って掘り上げた。そして横坑は、そのさきへも掘り進められて行った。天井からは、なおパラ/\/\と砂や礫《こいし》が落ちて来た。
昼食後、井村は、横坑の溝のところに来て、小便をしていた。カンテラが、洞窟の土の上や、岩の割れ目に点々と散らばって薄暗く燃えていた。
「今頃、しゃばへ出りゃ、お日さんが照ってるんだなア。」声変りがしかけた市三だった。
「そうさ。」
「この五日の休みは、検査でお流れか。チェッ。」
又、ほかの声がした。
食後の三十分間を、皆は、蓆《むしろ》を拡げ、坑木に腰かけなどしてそれ/″\休んでいた。カンテラは闇の晩の漁火《いさりび》のようなものだった。その周囲だけを、いくらか明るくはする。しかし、洞窟全体は、ちっとも明るくならなかった。依然として恐ろしい暗は、そこに頑張っていた。
井村は、もう殆んど小便をすましてしまおうとしていた。と、その時、突然、轟然たる大音響に彼は、ひっくりかえりそうになった。サッとはげしい風がまき起った。帽子は頭からとび落ちた。カンテラは一瞬に消えてまッ暗になった。足もとには、誰れかゞ投げ出されるように吹きとばされて、へたばっていた。それは一度も経験したことのない恐ろしく凄いものだった。ハッパの何百倍ある大音響かしれない。彼は、大地震で、山が崩れてしまったような恐怖に打たれた。
湿った暗闇の中を、砂煙が濛々と渦巻いているのが感じられる。
あとから、小さい破片が、又、バラ/\、バラ/\ッと闇の中に落ちてきた。何が、どうなってしまったか、皆目分らなかった。脚や腰がすくみ上って無茶に顫えた。
「井村!」奥の方からふるえる声がした。
「おい土田さん。」
「三宅! 三宅は居るか! 柴田! 柴田! 森!」
助けを求める切れ/″\の呻きが井村の耳に這入ってきた。彼も仲間の名を呼んだ。湿っぽい空気にまじって、血の臭いが鼻に来た。女の柔かい肉体が血と、酸っぱい臭いを発しつゝころがっていた。
井村は恐る/\そこらへんを、四ツン這いになってさぐりまわった。
……暫らくして、カンテラと、慌てた人声が背後に近づいて来た。ほかの坑道にいた坑夫達がドエライ震動と、轟音にびっくりして馳せつけたのだ。彼等も蒼白《まっさお》になっていた。
井村は新しいカンテラでホッとよみがえった気がした。今まで、鉱車《トロ》や、坑木に蹲った坑夫や、女達や、その食い終った空の弁当箱などがあったその上へ、いっぱいに、新しい、うず高い岩石の山が落ちかゝっていた。そして、多くの人間は見えなかった。山のような岩の大塊のかげに、蒼白《まっさお》にぶるぶる顫えている幽霊のような顔が二ツ三ツちらちらしたばかりだ。「これだけしか生き残らなかったんだ!」突嗟《とっさ》に井村は思った。大塊の奥の見えない坑道からふるえる声がきこえて来た。それが土田だった。そこは、出て来る道をすっかり山にふさがれていた。カンテラの光は、そこへ届かなかった。
「おや、脚がちぎれとるぞ。」若い一人がとび上った。
生ぐさい血に染った土が薄気味悪く足に触れた。小間切を叩きつけたような肉片や、バラ/\になった骨や肉魂がそこらに散乱していた。吹き飛ばされると同時に、したゝかにどっかを打ったらしい妊婦は、隅の方でヒイ/\虫の息をつゞけていた。
二十一人のうち、肉体の存在が分るのは、七人だった。
七人のうち、完全に生きているのは四人だった。廃坑で待ちほけにあった、タエは、猫のように這いおりて来た。
「柴田だ!」
脇腹から××が土の上にこぼれている坑夫は一本残っている脚をぴく/\顫わしていた。彼等はカンテラを向けながら、ぞッとして立すくんだ。二人は、半身を落盤にかすり取られていた。
「まだ息があるじゃないか。早くしろ!」
人を押し分けて這入って来た監督は顫える声でどなった。彼等が担架《たんか》に乗せるとて血でぬる/\している両脇に手をやると、折れた骨がギク/\鳴った。
「まだ生きとる。」
監督は念を押して、繰かえした。
三ツの屍《しかばね》は担架に移された。それから竪坑にまでかついで行かれ、一ツ/\ケージで、上に運びあげられた。
坑内で死亡すると、町の警察署から検視の警官と医者が来るまで、そのまゝにして置かなければならない。その上、坑内で即死した場合、埋葬料の金一封だけではどうしてもすまされない。それ故、役員は、死者を重傷者にして病院へかつぎこませる。これが常用手段になっていた。
「可愛そうだな!」坑夫達は担架をかついで歩きながら涙をこぼした。「こんなに五体がちぎれちまって見るかげもありゃせん。」
「他人事《ひとごと》じゃねえぞ! 支柱を惜しがって使わねえからこんなことになっちゃうんだ!」武松は死者を上着で蔽いながら呟いた。「俺《お》れゃ、今日こそは、どうしたって我慢がならねえ! まるでわざと殺されたようなもんだぞ!」
「せめて、あとの金だけでも、一文でもよけに取ってやりたいなア!」
坑外では、緊張した女房が、不安と恐怖に脅かされながら、群がっていた。死傷者の女房は涙で眼をはらしていた。三ツの担架は冷たい空気が吹き出て来る箇所を通りぬけて眼がクラ/\ッとする坑外へ出た。そこには、死者が、しょっちゅうあこがれていた太陽の光が惜しげなく降り注いでいた。死者の女房は、群集の中から血なまぐさい担架にすがり寄った。
「千恵子さんのおばさん死んだの。」
「これ! だまってなさい!」
無心の子供を母親がたしなめていた。
井村は、自分にむけられた三本脚の松ツァンの焦燥にギョロ/\光った視線にハッとした。
「うちの市三、別条なかったか。」
市三は、影も形も彼の眼に這入らなかった。井村は、眼を伏せて、溜息をして、松ツァンの傍を病院の方へ通りぬけた。
「市三、別条なかったかな?」
不安に戦慄した松ツァンの声が井村の背後で、又、あとから来る担架に繰りかえされた。
「…………」
そこでも、坑夫は、溜息をついて、眼を下へ落した。
「うちの市三、別条なかったかなア!」
石炭酸の臭いがプン/\している病院の手術室へ這入ると、武松は、何気なく先生、こんな片身をそぎ取られて、腹に穴があいて、一分間と生きとれるもんですか、ときいた。
「勿論即死さ。」
医者は答えた。武松は忽ち元気を横溢さした。
「じゃ、先生、この森と柴田の死亡診断書にゃ、坑内で即死したと書いて呉れますね。」
「わしは、坑内に居合《いあわ》さなかったからね。」あやしげな口調になった。「こうして、監督がここへかついで来さしたんだから、勿論、まだ、命はあったかもしれんな。」
「先生が見て即死なら、見られたその通りを書いて呉れりゃいゝじゃありませんか。」
返事がなかった。
「わしら行って見た時にゃ、もう息はなかったんですよ。」
「村上先生じゃったらなア!」隅の方で拇指《おやゆび》のない坑夫がさゝやいた。村上という医者は、三年前、四カ月程いて、坑山病院から頸になって行ってしまった。その村上も、決して坑夫に特別味方して呉れた医者じゃなかった。たゞ事実を有る通りに曲げなかった。そして、公平に、坑夫でも手子《てこ》でも空いていさえすれば、一等室に這入らした。その事実を曲げない、公平なだけでも、坑夫達には親のように有難かった。だが、それだけに、この坑山では、直ちに、追い出される理由になった。
「糞ッ!」
彼等は、坑内へ引っかえしながら、むしろ医者に激しい憎悪を燃した。
「町が近けりゃ、ほかの医者にかつぎこんで見せてやるんだがなア!」
「なに、どいつに見せたって同じこったよ!」武松が憎々しげに吐き出した。「今に見ろ! 只じゃ怺えとかねえから。」
妊婦は、あとで「脳振盪」と、病床日誌に死の原因を書きつけられていた。
五
今度は、山のような落盤の上に下敷きとなっている十四人を掘り出さなきゃならなかった。洞窟の奥の真暗な横坑にふさぎ込められていた土田は、山を這い渡る途中に、又、第二の落盤でもありやしないか、びく/\しながら、小さくなって、ころび出て来た。
三本脚の松ツァンは、ケージをおりて、坑内へ這入って来た。彼は巨大な鉱石に耳をつけて息子の呻きがしやしないか神経を集中した。
「市三! 市三!」
何度も大きな声を出して呼んだ。何ンにも返事がなかった。
「もうあかん!」彼は、ぐったりした。が、すぐあとから、又、「市三! 市三!」と息子を呼びつゞけた。
そこからは、呻きも、虫の息も、何等聞えなかった。鉄管から漏れる圧搾空気だけがシューと引っきりなしに鳴っていた。
「これゃ、どうしたってあかん!」
彼は、頭を両肩の中へ落しこんでしまう程がっかりした。
集って来た死者の肉親は、真蒼になって慌てながら、それでもひょっとすると、椀のように凹んだ中にでも生きているかも知れん。そんな僥倖をたのみにした。事実天井は、墜落する前、椀をさかさまにしたように、真中が窪めて掘り上げられていた。
皆は、掘出しにかゝった。坑夫等は、鶴嘴《つるはし》や、シャベルでは、岩石を掘り取ることが出来なかった。で、新しい鑿岩機が持って来られ、ハッパ袋がさげて来られた。
高い、闇黒の新しい天井から、つゞけて、礫《こいし》や砂がバラバラッバラバラッと落ちて来た。弾丸が唸り去ったあとで頸をすくめるように、そのたび彼等は、頸をすくめた。
松ツァンは、二本の松葉杖を投げ棄ててタガネと槌を取った。彼は、立って仕事が出来なかった。で、しゃがんだ。摺古木《すりこぎ》になった一本の脚のさきへ痛くないようにボロ切れをあてがった。
岩は次第に崩されて行った。ピカ/\光った黄銅鉱がはじけ飛ぶ毎に、その下から、平たくなった足やペシャンコにへしげた鑿岩機が現れてきた。折れた脚が見え出すと、ハッパをかけるにしのびなかった。
「掘れ! 掘れ! 岩の下から掘って見ろ。」
鶴嘴とシャベルで、屍《しかばね》を切らないように恐る/\彼等は、落ちた岩の下を掘った。腥《なまぐさ》い血と潰された肉の臭気が新しく漂って来た。
「市三! 市三!」
跛《びっこ》の親爺は呼びつゞけた。が、そこからは呻きも叫びも何等聞えなかった。
「市三! 市三!……これゃどうしたってあかん!」
松ツァンの声は、薄暗い洞窟に、悲痛なひゞきを伝えた。井村は面《おもて》をそむけた。
腥い臭気は一層はげしくなって来た。
「あ、弥助爺さんだ。」
落盤を気づかっていた爺さんが文字通りスルメのように頭蓋骨も、骨盤も、板になって引っぱり出された。
うしろの闇の中で待っていたその娘は、急にへしゃげてしまった親爺の屍体によりかゝって泣き出した。
「泣くでない。泣くでない。泣いたって今更仕様がねえ。」
武松が、屍体に涙がかゝっては悪いと思いながら、娘の肩を持ってうしろへ引っぱった。
「泣くでない。」
しかし、そう云いながら、自分も涙ぐんでいた。それから、又、一人の坑夫が引っぱり出された。へしゃがれた蟹のように、骨がボロ/\に砕けていた。担架に移す時、バラバラ落ちそうになった。
彼等は、空腹も疲労も忘れていた。夜か昼か、それも分らなかった。仲間を掘り出すのに一生懸命だった。
二人、三人と、掘り出されるに従って、椀のような
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