も、それをむさぼり取ることが出来ない。彼は、これからさき、幾年、こんなところで土を掘りつゞけなけりゃならんか分らない。それを思うとうんざりした。しまいには、落盤にへしゃがれるか、蝕《むし》ばまれた樹が倒れるように坑夫病《よろけ》で倒れるか、でなければ、親爺のように、ダイナマイトで粉みじんにくだかれてしまうかだ。
彼等は、恋まで土鼠のような恋をした。土の中で雄が雌を追っかけた。土の中で雄と雌とがちゝくり合った。タエは、石をいじる仕事にも割合荒れない滑かな肌を持っていた。その肌の下にクリ/\張りきった肉があった。彼女は、かびくさい坑道を別な道から足音かるくやって来た。井村は、斜坑を上り切ったところに待っていた。彼は、タエが、そこへやって来るのを知っていた。その淀んだ空気は腐っていた。湿気とかびの臭いは、肺が腐りそうにひどかった。しかし、彼は、それを辛抱した。
彼女はやって来ると、彼の××××、尻尾を掴まれて、さかさまにブラさげられた鼠のようにはねまわった。なま樹の切り口のような彼女の匂いは、かびも湿気も、腐った空気をも消してしまった。彼は、そんな気がした。唇までまッ白い、不健康な娘が多い鉱山で、彼女は、全然、鉱毒の及ばない山の、みず/\しい青い樹のようだった。いつか、前に、鑿岩機をあてがっている時、井村は、坑内を見まわりに来た技師の眼が、貪慾げにこの若い力のはりきった娘の上に注がれているのを発見した。
技師は、ひげもじゃの大きな顎を持っていた。そして学校に上る子供があった。しかし、その眼は、鉱脈よりも、娘々したタエに喰い入るように注がれていた。ひげもじゃの顎と、上唇をあつかましい笑いにほころばせながら。
「これゃ、この娘も、すぐ、あのひげの顎に喰われるぞ。」
井村は、何故となく考えた。それから、彼のむほん気が、むら/\と動いて来た。それまでは、彼はたゞ一本のみずみずしい青葉をつけた樹を見るように彼女を見ていたゞけだった。まもなく彼は、話があるから廃坑へ行かないかと、彼女に切出した。
「なアに?」
彼女は、あどけない顔をしていた。
「話だよ。お前をかっさらって、又、夜ぬけをしようってんだ。」
ほかの者の手前彼は、冗談化した。
「いやだよ。つまんない。」
スボ/\していた。
しかし、昼食の後、タエは、女達の休んでいるカタマリの中にいなかった。彼は、それを見つけた。急に心臓がドキドキ鳴りだした。彼は、それを押えながら、石がボロボロころげて来る斜坑を這い上った。
六百尺の、エジプトのスフィンクスの洞窟のような廃坑に、彼女は幽霊のように白い顔で立っていた。
彼は、差し出したカンテラが、彼女にぶつかりそうになって、始めてそれに気がついた。水のしずくが、足もとにポツ/\落ちていた。カンテラの火がハタ/\ゆれた。
彼は、恋のへちまのと、べちゃくちゃ喋るのが面倒だった。カンテラを突き出た岩に引っかけると、いきなり無言で、彼女をたくましい腕×××××。
「話ってなアに?」
「これがあの、ひげのあいつに喰われようとしとった、その女だ!」
カンテラに薄く照し出された女の顔をま近に見ながら彼は考えた。そして腕に力を入れた。女のあつい息が、顔にかゝった。
「つまんない!」彼女はそんな眼をした。
しかし、敏捷に、割に小さい、土のついた両手を拡げると、彼の頸×××××いた。
「タエ!」
彼は、たゞ一言云ったゞけだ。つる/\した、卵のぬき身のような肌を、井村は自分の皮膚に感じた。
それから、彼等は、たび/\別々な道から六百尺へ這い上って行きだした。ある時は、井村がケージの脇の梯子を伝って這い上った。ある時は、五百尺の暗い、冷々《ひえ/″\》とする坑道を示し合して丸太の柵をくゞりぬけた。
彼は、彼女をねらっているのが、技師の石川だけじゃないのに気がついた。監督の阿見も、坂田も、遠藤も彼女をねらっていた。
「石川さん、お前におかしいだろう。」
井村は、口と口とを一寸位いの近くに合わしながら、そんなことを云ったりした。
「それはよく分っている。」
「阿見だって、遠藤だってそうだぞ。」
彼女は、平気に肯いた。
「もし追いつめられたらどうするんだい。」
「なんでもない。」タエは笑った。「そんなことしたら、あの奥さんとこへ行って、何もかも喋くりちらしてやるから。」
四
五百米ばかり横に掘り進むと、井村は、地底を遠くやって来たことを感じた。何か事があって、坑外《しゃば》へ出て行くにも行かれない地獄へ来てしまったような心細さに襲われた。鉱脈は五百米附近から、急に右の方へはゞが広くなって来た。坑壁いっぱいに質のいゝ黄銅鉱がキラ/\光って見える。彼は、鉱脈の拡大しているのに従って、坑道を喇叭《ラッパ》状に掘り拡げた。が、掘り拡げて
前へ
次へ
全10ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
黒島 伝治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング