入営前後
黒島傳治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)襦袢《じゅばん》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)くに[#「くに」に傍点]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)頭をくり/\坊主にして
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      一

 丁度九年になる。九年前の今晩のことだ。その時から、私はいくらか近眼だった。徴兵検査を受ける際、私は眼鏡をかけて行った。それが却って悪るかった。私は、徴兵医官に睨まれてしまった。
 その医官は、頭をくり/\坊主にして、眼鏡をかけていた。三等軍医だった。それが、私の眼鏡を見て、強いて近眼らしくよそおうとしているものと睨んだのである。御自分の眼鏡には、一向気づかなかったものらしい!
 そこで、私は、入営することになった。
 十一月の末であった。
 汽船で神戸まで来て、神戸から姫路へ行った。親爺が送って来てくれた。小豆島で汽船に乗って、甲板から、港を見かえすと、私には、港がぼやけていてよく分らなかった。その時には、私は眼鏡をはずしていたのだ。船は客がこんでいた。私は、親爺と二人で、荒蓆で荷造りをした、その荷物の上に腰かけていた。一と晩、一睡もしなかった。
 十二月一日に入営する。姫路へは、その前日に着いた。しょぼ/\雨が降っていた。宿の傘を一本借りて、雨の中をびしょ/\歩きまわった。丁度、雪が積っているように白い、白鷺城を見上げながら、聯隊の前の道を歩いた。私の這入る聯隊は、城のすぐ下にあるのだ。
 宿は、入営する者や、送って来た者やで、ひどくたてこんでいた。寝る時、蒲団が一畳ずつしかあたらなかった。私は親爺の分と合わして一つを敷き一つを着て、二人が一つになって寝た。私は、久しく親と一緒に寝たことがなかった。小さい時、八ツか九ツになるまで、親爺と寝ていたが、それ以後、別々になった。私は、小さい時のことを思い出した。親爺の肌も、皺がよって、つめたかった。たゞ昔の通り煙草の臭いだけはしていた。私は、一夜中、親爺のその煙草の臭いをむさぼるように嗅いだ。そして、私よりは冷い、親爺に一晩中、くっ付いていた。明日から二カ年間、どこへも出ることが出来なくなるのだ。

      二

 薄暗い、一寸、物が見分けられない、板壁も、テーブルも、床も黒い室へつれて行かれた。造りが、頑
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