ちゃないか。――大《たい》したこっちゃないじゃないか!」
彼は、皆の前でのんきそうなことを云っていた。
だが、軍医と上等看護長とは、帰還者を決定する際、イの一番に、屋島の名を書き加えていた。――つまり、銃剣を振りまわしたり、拳銃を放ったりする者を置いていては、あぶなくて厄介《やっかい》だからだ。
自分からシベリアへ志願をして来た福田という男があった。福田は露西亜語が少し出来た。シベリアへ露西亜語の練習をするつもりで志願して来たのであった。一種の図太さがあって、露西亜人を相手に話しだすと、仕事のことなどそっちのけにして、二時間でも三時間でも話しこんだ。露西亜語が相当に出来るようになってから内地へ帰りたいというのが彼の希望だった。
けれども、福田も、帰還者名簿中に、チャンと書きこまれていた。
そういう例は、まだ/\他《ほか》にもあった。
無断で病院から出て行って、三日間、露人の家に泊ってきた男があった。それは脱営になって、脱営は戦時では銃殺に処せられることになっていた。だがそれを内密にすましてその男は処罰されることからは免《まぬが》れた。しかし、その代りとして、四年兵になるまで残しておかれるだろうとは、自他ともに覚悟をしていた。
だが、その男も、帰還者の一人として、はっきり記《しる》されてあった。
そして、残されるのは、よく働いて、使いいゝ吉田と小村の二人であった。
二人とも、おとなしくして、よく働いていればその報いとして、早くかえしてくれることに思って、常々から努めてきたのであった。少し風邪《かぜ》気味で、大儀な時にでも無理をして勤務をおろそかにしなかった。
――そうして、その報いとして得たものは、あと、もう一箇年間、お国のために、シベリアにいなければならないというだけであった。
二人は、だまし討ちにあったような気がして、なげやりに、あたり散らさずにはいられない位い胸がむか/\した。
三
――汽車を待っている間に、屋島が云った。
「君等は結局馬鹿なんだよ。――早く帰ろうと思えや、俺のようにやれ。誰だって、自分の下に使うのに、おとなしい羊のような人間を置いときたいのはあたりまえじゃないか――だが、一年や二年、シベリアにいたっていなくったって、長い一生から見りゃ同じこった。ま、気をつけてやれい。」
それをきいていた吉田も、小村も元気がなかった。
同年兵達は、既に内地へ帰ってから、何をするか、入営前にいた娘は今頃どうしているだろう? 誰れが出迎えに来ているだろう? ついさき頃まで熱心に通っていた女郎のことなど、けろりと忘れてしまって、そんなことを頻りに話していた。
「俺《お》れゃ、家《うち》へ帰ったら、早速、嚊《かゝあ》を貰うんだ。」シベリアへ志願をして来た福田も、今は内地へ帰るのを急いでいた。
「露西亜語なんか分らなくったっていゝや、――親爺《おやじ》のあとを継いで行きゃ、食いっぱぐれはないんだ、いつなんどきパルチザンにやられるかも知れないシベリアなんぞ、もうあき/\しちゃった。」
二人だけは帰って行く者の仲間から除外されて、待合室の隅の方で小さくなっていた。二人は、もと/\よく気が合ってる同志ではなかった。小村は内気で、他人《ひと》から云われたことは、きっとするが、物事を積極的にやって行くたちではなかった。吉田は出しゃばりだった。だが人がよかったので、自分が出しゃばって物事に容喙《ようかい》して、結局は、自分がそれを引き受けてせねばならぬことになってしまっていた。二人が一緒にいると、いつも吉田が、自分の思うように事をきめた。彼が大人顔をしていた。それが小村には内心、気に喰わなかった。しかし、今では、お互いに、二人だけは仲よくして行かなければならないことを感じていた。気に入らないことがあっても、それを怺《こら》えなければならないと思っていた。同年兵は二人だけであった。これからさき、一年間、お互いに助け合って生きて行かなければならなかった。
「じゃ、わざ/\見送ってくれて、有がとう。」
汽車が来ると、帰る者たちは、珍らしい土産ものをつめこんだ背嚢《はいのう》を手にさげて、われさきに列車の中へ割込んで行った。そこで彼等は自分の座席を取って、防寒帽を脱ぎ、硝子窓の中から顔を見せた。
そこには、線路から一段高くなったプラットフォームはなかった。二人は、線路の間に立って、大きな列車を見上げた。窓の中から、帰る者がそれ/″\笑って何か云っていた。だが、二人は、それに答えて笑おうとすると、何故か頬がヒン曲って泣けそうになって来た。
二人は、そういう顔を見られたくなかったので、黙ってむっつりしていた。
……汽車が動き出した。
窓からのぞいていた顔はすぐ引っ込んでしまった。
二人は、今まで押し
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