ベリアへ来てから、もう三年以上、いや五年にもなるような気がしていた。どうしてシベリアへ兵隊をよこして頑張ったりする必要があるのだろう。兵卒は、露西亜人を殺したり、露西亜人に殺されたりしているのである。シベリアへ兵隊を出すことさえ始めなければ、自分達だって、三年兵にもなって、こんなところに引き止められていやしないのだ。
 二人は、これまで、あまりに真面目で、おとなしかった自分達のことを悔いていた。出たらめに、勝手気まゝに振るまってやらなければ損だ。これからさき、一年間を、自分の好きなようにして暮してやろう。そう考えていた。
 ――吉田は、防寒服を着け、弾丸を込めた銃を握って兵舎から走り出た。
「おい、兎をうつのに実弾を使ってもいゝのかい。」
 小村も、吉田がするように、防寒具を着けながら、危ぶんだ。
「かまうもんか!」
「ブ(上等看護長のこと)が怒りゃせんかしら……」
 銃と実弾とは病院にも配給されていたが、それは、非常時以外には使うことを禁ぜられていた。非常時というのは、つまり、敵の襲撃を受けたような場合を指すのであった。
 吉田はかまわず出て行った。小村も、あとでなんとかなる、――そんな気がして、同様に銃を持って吉田のあとからついて行った。
 吉田は院庭の柵をとび越して二三十歩行くなり、立止まって引金《ひきがね》を引いた。
 彼は内地でたび/\鹿狩に行ったことがあった。猟銃をうつことにはなれていた。歩兵銃で射的をうつには、落ちついて、ゆっくりねらいをきめてから発射するのだが、猟にはそういう暇《ひま》がなかった。相手が命がけで逃走している動物である。突差にねらいをきめて、うたなければならない。彼は、銃を掌《て》の上にのせるとすぐ発射することになれていた――それで十分的中していた。
 戦闘の時と同じような銃声がしたかと思うと、兎は一間ほどの高さに、空に弧を描いて向うへとんだ。たしかに手ごたえがあった。
「やった! やった!」
 吉田は、銃をさげ、うしろの小村に一寸目くばせして、前へ馳せて行った。
 そこには、兎が臓腑《ぞうふ》を出し、雪を血に紅く染めて小児のように横たわっていた。
「俺《おれ》だってうてるよ。どっか、もう一つ出て来ないかな。」
 小村が負けぬ気を出した。
「居るよ、二三匹も見えていたんだ。」
 二人は、丘を登り、谷へ下り、それから次の丘へ登って行った。
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