さげられた。僕が出たあと、半年ほどして、山漢社長はつゞまりがつかなくなって事務所にも、バラックにも、火をつけて焼いてしまったという話だ。一度、そのあとが、今どうなっているか見に行こうと思うが、まだよう行かずにいる。建物会社をやめて暁声社という鶏の雑誌をやっているところに居った。
大正八年に兵隊にとられ、それからシベリアへやられた。そこで病気にかゝって、大正十一年四月内地へ帰り、七月除隊になった。十四年までは、病気がよくならんのでブラ/\して暮してしまった。十五年十一月、文芸戦線同人となった。それ以来、文戦の一員として今日に到っている。短篇集に、「豚群」と「橇」がある。
底本:「黒島傳治全集 第三巻」筑摩書房
1970(昭和45)年8月30日第1刷発行
入力:Nana ohbe
校正:林 幸雄
2009年6月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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