ら下って来た看護卒は、老人が歩いて行く方へやって来た。そして、一人が云った。彼等は鮮人に接近すると、汚い伝染病にでも感染するかのように、一間ばかり離れて、珍しそうに、水飴のように大地にへばりつこうとする老人を眺めた。
「伍長殿。」剣鞘で老人の尻を叩いている男に、さきの一人が思い切った調子で云った。それは栗島だった。「どっか僕が偽せ札をこしらえた証拠が見つかりましたか?」
「まあ待て!」伍長は栗島を振りかえった。
「このヨボが僕に札を渡したって云っていましたか。」
 彼は、皮肉に意地悪く云った。
「犯人はこいつにきまったんだ。何も云うこたないじゃないか。」
 老人の左腕を引っぱっている上等兵が、うしろへ向いて云った。
「なあに、こんな百姓爺さんが偽札なんぞようこしらえるもんか! 何かの間違いだ。」
 老人は、白樺の下までつれて行かれると、穴の方に向いて立たせられた。あとから来た通訳が朝鮮語で何か云った。心配することはない。じいっと向うを見て、真直に立っていろ、と云ったのであった。しかし老人は、恐怖と、それが嘘であることを感じていた。彼は鼻も口も一しょになってしまうような泣き面をした。「俺は殺され度くない。いつ、そんな殺されるような悪いことをしたんだ!」と眼は訴えていた。「俺は生きられるだけ生きたいんだ! 朝鮮人だって、生きる権利は持っている筈だ!」そう云っているように見えた。
 兵卒は、水を打ったようにシンとなって、老人の両側に立った。彼等の眼は悉く将校の軍刀の柄に向けられた。
 軍刀が引きぬかれ、老人の背後に高く振りかざされた。形而上的なものを追おうとしていた眼と、強そうな両手は、注意力を老人の背後の一点に集中した。
 老人はびく/\動いた。
 氷のような悪寒が、電流のように速かに、兵卒達の全身を走った。彼等は、ヒヤッとした。栗島は、いつまでも太股がブル/\慄えるのを止めることが出来なかった。軍刀は打ちおろされたのであった。
 必死の、鋭い、号泣と叫喚が同時に、老人の全身から溢れた。それは、圧迫せられた意気の揚らない老人が発する声とはまるで反対な、力のある、反抗的な声だった。彼は「何をするのだ! 俺がどうして斬られるようなことをしたんだ!」と、叫んでいるようだった。
 栗島は、次の瞬間、老人が穴の中へとびこんでいるのを見た。それはとびこんだのではなかったかもしれなか
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