へ小さな急流をなして流れていた。
松木と武石との中隊が、行衛不明《ゆくえふめい》になった時、大隊長は、他の中隊を出して探索さした。大隊長は、心配そうな顔もしてみせた。遺族に対して申訳がない、そんなことも云った。――しかし、内心では、何等の心配をも感じてはいない。ばかりでなく、むしろ清々していた。気にかかるのは、師団長にどういう報告書を出すか、その事の方が大事であった。
一週間探した。しかし、行衛は依然として分らなかった。少佐は、もうそのことは、全然忘れてしまっているようだった。彼は、本部の二階からガーリヤの家の方を眺めて、口笛で、「赤い夕日」を吹いたりした。
春が来た。だが、あの一個中隊が、どこでどうして消えてしまったのか、今だにあとかたも分らなかった。
吉永は、丘の上の兵営から、まだ、すっかり雪の解けきらない広漠たる曠野を見渡しながら、自分がよくも今まで生きてこられたものだ、とひそかに考えていた。あの時、自分達の中隊が、さきに分遣されることになっていたのだ。それがどうしたのか、出発の前日に変更されてしまった。彼の中隊が、橇《そり》でなく徒歩でやって来ていたならば、彼も、今頃、どこで自分の骨を見も知らぬ犬にしゃぶられているか分らないのだ。
徒歩で深い雪の中へ行けば、それは、死に行くようなものだ。
彼等をシベリアへよこした者は、彼等が、×××餌食《えじき》になろうが、狼に食い×××ようが、屁《へ》とも思っていやしないのだ。二人や三人が死ぬことは勿論である。二百人死のうが何でもない。兵士の死ぬ事を、チンコロが一匹死んだ程にも考えやしない。代りはいくらでもあるのだ。それは、令状一枚でかり出して来られるのだ。……
丘の左側には汽車が通っていた。
河があった。そこには、まだ氷が張っていた。牛が、ほがほがその上を歩いていた。
右側には、はてしない曠野があった。
枯木が立っていた。解けかけた雪があった。黒い烏の群が、空中に渦巻いていた。陰欝《いんうつ》に唖々《ああ》と鳴き交すその声は、丘の兵舎にまで、やかましく聞えてきた。それは、地平線の隅々からすべての烏が集って来たかと思われる程、無数に群がり、夕立雲のように空を蔽わぬばかりだった。
烏はやがて、空から地平をめがけて、騒々しくとびおりて行った。そして、雪の中を執念《しゅうね》くかきさがしていた。
その群は
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