煙が村の上に低迷した。狙撃砲からは二発目、三発目の射撃を行った。それは何を撃つのか、目標は見えなかった。やたらに、砲先の向いた方へ弾丸をぶっぱなしているのであった。
「副官、中隊を引き上げるように命令してくれ!」
 大隊長は副官を呼んだ。
「それから、機関銃隊攻撃用意!」
 村に攻めこんだ歩兵は、引き上げると、今度は村を包囲することを命じられた。逃げだすパルチザンを捕《つか》まえるためだ。
 カーキ色の軍服がいなくなった村は、火焔と煙に包まれつつ、その上から、機関銃を雨のようにばらまかれた。
 尻尾を焼かれた馬が芝生のある傾斜面を、ほえるように嘶《いなな》き、倒れている人間のあいだを縫って狂的に馳せまわった。
 女や、子供や、老人の叫喚が、逃げ場を失った家畜の鳴声に混って、家が倒れ、板が火に焦げる刺戟的な音響や、何かの爆発する轟音《ごうおん》などの間から聞えてくる。
 見晴しのきく、いくらか高いところで、兵士は、焼け出されて逃げてくる百姓を待ち受けて射撃した。逆襲される心配がないことは兵士の射撃を正確にした。
 こっちに散らばっている兵士の銃口から硝煙がパッと上る。すると、包囲線をめがけて走《は》せて来る汚れた短衣や、縁なし帽がバタバタ人形をころばすようにそこに倒れた。
「無茶なことに俺等を使いやがる!」栗本は考えた。
 傾斜面に倒れた縁なし帽や、ジャケツのあとから、また、ほかの汚れた短衣やキャラコの室内服の女や子供達が煙の下からつづいて息せき現れてきた。銃口は、また、その方へ向けられた。パッと硝煙が上った。子供がセルロイドの人形のように坂の芝生の上にひっくりかえった。
 汚れたジャケツは、吃驚《びっくり》して、三尺ほど空へとび上った。何事が起ったのか一分間ばかりジャケツが理解できないでいるさまが兵士達に見えた。
 ジャケツに抱き上げられた子供は泣声を発しなかった。死んでいたのだ。
「おい撃方《うちかた》やめろ!――俺等は誰のためにこんなことをしてるんだい!」
 栗本が腹立たしげに云った。その声があまりに大きかったので機関銃を持っている兵士までが彼の方へ振り向いた。
「百姓はいくら殺したってきりが有りゃしない。俺達はすきこのんで、あいつ等をやっつける身分かい!」彼はつづけた。「こんなことをしたって、俺達にゃ、一文だって得が行きゃしないんだ!」
 機関銃の上等兵は、少尉に鼓膜を叩き破られた兄を持っていた。何等償われることなしに兄は帰休になって、今は小作をやっている。入営前大阪へ出て、金をかけて兄は速記術を習得したのであった。それを兄は、耳が聞えなくなったため放棄しなければならなかった。上等兵は、ここで自分までも上官の命令に従わなくって不具者にされるか、或は弾丸《たま》で負傷するか、殺されるか、――したならば、年がよってなお山伐りをして暮しを立てている親爺がどんなにがっかりするだろうか、そのことを思った。――老衰した親爺の顔が見えるような気がした。
 けれども彼は、煙の中を逃げ出して来る短衣やキャラコも、子供や親があることを考えた。彼等も、耕すか、家畜を飼うかして、口を糊《のり》しているのだ。上等兵はそういうことを考えた。――同様に悲しむ親や子供を持っているのだ。
 こんなことをして彼等を撃ち、家を焼いたところで、自分には何にも利益がありやしないのだ。
 流れて来る煙に巻かれながら、また、百姓や女や、老人達がやって来た。
 上等兵は、機関銃のねらいをきめる役目をしていた。彼は、機関銃のつつさきを最大限度に空の方へねじ向けた。
 弾丸は、坂を馳せ登ってくる百姓や、女の頭の上をとびぬけ出した。
「撃てッ、パルチザンが逃げ出して来るじゃないか、撃てッ!」
 包囲線を見張っている将校は呶鳴りたてた。
 兵士の銃口からは、つづけて弾丸が唸《うな》り出た。
「撃てッ! パルチザンがいッくらでもこっちへ逃げ出して来るじゃないか。うてッ! うてッ!」
 兵士は撃った、あまりにはげしい射撃に銃身が熱くなった。だが弾丸は、悉く、一里もさきの空へ向ってとび上った。そこで人を殺す威力を失って遙か向うの草原に落下した。機関銃ばかりでなく、そこらの歩兵銃も空の方へそのつつさきを向けていたのだ。
 百姓は、逃げ口が見つかったのを喜んで麓の方へ押しよせてきた。
彼等は、物をくすねそこねた泥棒のように頸をちぢめてこそこそ周囲を盗み見ながら兵士の横を走せぬけた。
「早く行け!」
 栗本が聞き覚えのロシア語で云った。百姓は、道のない急な山を、よじ登った。
「撃てッ! 撃てッ! パルチザンを鏖《みなごろし》にしてしまうんだ! うてッ! うたんか!」
 士官は焦躁にかられだして兵士を呶鳴りつけた。
「ハイ、うちます。」
 また、弾丸が空へ向って呻《うな》り出た。
「うてッ
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