ずんでいた。
 裏通りの四五軒目の、玄関とも、露台《バルコン》ともつかないような入口の作りつけられている家の前で、ウォルコフは、ひらりと身がるく馬からおりた。
 人々は、眠《ねむり》から覚めたところだった。白い粘土で塗りかためられた煙突からは、紫色の煙が薄く、かすかに立のぼりはじめたばかりだ。
 ウォルコフは、手綱《たづな》をはなし、やわい板の階段を登って、扉《ドア》を叩いた。
 寝室の窓から、彼が来たことを見ていた三十すぎのユーブカをつけた女は戸口へ廻って内から掛金《かけがね》をはずした。
「急ぐんだ、爺さんはいないか。」
「おはいり。」
 女は、居るというしるしに、うなずいて見せて、自分の身《からだ》を脇《わき》の箱を置いてある方へそらし、ウォルコフが通る道をあけた。
「どうした、どうした。また××の犬どもがやって来やがったか。」
 一分間ばかりたつと、その戸口へよく肥《ふと》った、頬の肉が垂れ、眉毛が三寸くらいに長く伸びている老人がチャンチャンコを着て出てきた。
「ワーシカがやられた。」
「ワーシカが?」
「…………。」
 ユーブカをつけた女は、頸《くび》を垂れ、急に改った、つつましやかな、悲しげな表情を浮べて十字を切った。
「あいつは、ええ若いものだったんだ!……可憐《かわい》そうなこった!」
 老人は、十字を切って、やわい階段をおりて行った。おりて行きながら彼は口の中でなお、「可憐そうなこった、可憐そうなこった!」とくりかえした。
 老人はウォルコフが乗りすてた栗毛の鞍やあぶみを外して、厩《うまや》の方へ引いて行った。
 ウォルコフは、食堂兼客間になっている室と、寝室とを通りぬけて、奥まった物置きへつれて行かれた。そこは、空気が淀《よど》んで床下の穴倉から、湿気と、貯えられた葱《ねぎ》や馬鈴薯の匂いが板蓋《いたぶた》の隙間《すきま》からすうっと伝い上って来た。彼は、肩から銃をおろし、剣を取り、羊皮の帽子も、袖に星のついた上衣も乗馬靴もすっかりぬぎ捨ててしまった。ユーブカをつけた女は、次の室から、爺さんの百姓服を持ってきた。
 ウォルコフは、その百姓服に着換え、自分が馬上で纏《まと》っていた軍服や、銃を床下の穴倉へかくしてしまった。木蓋の上へは燕麦《えんばく》の這入った袋を持ってきて積み重ね、穴倉があることを分らなくした。
 豆をはぜらすような鉄砲の音が次第
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