取れえ!」
と、祖母は云ったが、父母は、じろりと彼を見て、放っとけというような顔をした。
二三日、休んでいるうちに、家族には、風邪でないことが明かになった。
二日目の朝、頬冠りを取って顔を洗っていると、祖母は、彼の頭に血がにじんだ跡があるのを見つけた。
「どうしたんどいや。醤油屋で何どあったんかいや!」
父母が毎日のように山仕事に出かけたあとで祖母は彼にきいた。
「いいや。」
彼は、別に何も云わなかった。
五日目の晩に、父は、
「そんなに遊びよったら、ふよごろ[#「ふよごろ」に傍点](なまけ者のこと)になってしまうぞ!」と云った。
「己《お》らあ、もう醤油屋へは行かんのじゃ。」
京一は、何か悲しいものがこみ上げてきて言葉尻がはっきり云えなかった。
「醤油屋へ行かずにどうするんどい? 遊びよったら食えんのじゃぞ!」
京一は、ついに、まかないの棒のことを云い出して、涙声になってしまった。むつかしい顔をして聞いていた父は、
「阿呆が、うかうかしよるせに、他人になぶり者にせられるんじゃ。――そんなまかないの棒やかいが、この世界にあるもんかい!」
あくる朝、父は山仕事に出る前に、
「今日は、もう仕事に行け!」
といかつく京一に云いつけた。
「いや、己らは山へ行く。」
「阿呆めが! 山へ行たってどればも銭は取れんのに、仕様があるかい。醤油屋へ行け!」
それでも、醤油屋へ行きたくなくなって、彼は、十時頃まで日向ぼっこをしていた。
「われが一人でよう行かんのなら、おばあ[#「おばあ」に傍点]がつれて行てやろうか。――行かなんだら、お父うが戻ってまた怒るぞ。」
祖母はすやすや寝ている小さい弟を起して、古い負いこに包んで背負うと、彼を醸造場へつれて行った。年が寄って寒むがりになった祖母は、水鼻を垂らして歩きながら、背の小さい弟をゆすり上げてすかした。
醸造場へ行くと、彼女は、孫の仁助に、京一をそう痛めずに使うてやってくれと頼んだ。
京一は、きまり悪るそうに片隅に小さく立っていた。忙しそうに水を担っている若者等は、京一の顔をぬすみ見て、くっくっ笑った。
[#地から1字上げ](一九二三年十二月)
底本:「黒島傳治全集 第一巻」筑摩書房
1970(昭和45)年4月30日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を
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