いどこうかいの。」ばあさんは麦蒔きに、畑へ出かけしなに、じいさんにそう云って、「紋」を細紐で柱につないでおいた。
 後脚の礫があたったところは、禿になった。毎年猪の子に旦那の家から部落中に配ってくれる団子は、その年に限って、おりくの家へだけは呉れなかった。
 ついに、ばあさんは、港から出る発動機船に頼んで本土へ猫を積んで行って貰った。彼女は長いこと風呂に入らず、たまらなくなって、一度だけ隣村の銭風呂へ行ったりした。
 地主の下男は、地子を集めるのに、まず第一番に、おりくの家へ荷車を引いてやって来た。
 ばあさんは村を歩くのに、引けめを感じておず/\していた。旦那や御領ンさんに顔を合すのがおっかなくって、向うから来るのを見かけると、わざと道を外らした。大師講に参ると部屋の隅で小さくなっていた。が、今度こそは、再び猫が帰って来る気遣いないので、やっと助かった思いをしていた。
「おりくさん、猫をあっちイ積んで行《い》たんはえいけれど、とう/\殺してしもうたがいの。」発動機船の舟方は、本土から帰ってばあさんに云った。
「そうかいの。」と、ばあさんは、じいっと船方を注視して話をきいた。
 それは、船が本土を出帆するまぎわになると、放り上げた猫が、荷揚場から、又船へ飛び乗ろうとしているのだった。それを見つけると船方は、早速、水荷い棒を取って、猫をめがけて殴った。ところが、そう力は入れなかったのに、棒が急所にあたったと見えて、猫は一度にころりと海の中に落ちて死んでしまった。というのだった。
「ほんに、可憐そうに!……」それを聞いてばあさんは沈みこんでしまった。



底本:「黒島傳治全集 第一巻」筑摩書房
   1970(昭和45年)年4月30日第1刷発行
入力:大野裕
校正:富田倫生
2000年10月16日公開
2000年11月7日修正
青空文庫作成ファイル:
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