に唄ってゐるやうでもある。
 人を小バカにしてゐるところもあるが、私にはナンダカ彼こそほんとうの淋しみを知り、ほんとうの喜びを知ってゐる男のやうに思へた。が、彼はやがて浅草に姿を見せなくなった。どこをどうしてゐるのか。
 私には、ときどき思ひ出せて仕方のない、風琴と老人なのである。

    慈善心を食ふ

 観音さまの周りの雑沓の中を、文字《もんじ》通り蓬頭垢面、ボロを引き摺った男が、何か分らぬことを口の中でモヅモヅ呟きながら、ノロノロと歩き廻ってゐる。
 彼はしゃべ[#「しゃべ」に傍点]ってゐる。動いてゐる。と、群集の中から一人が急いで彼の手に白銅を一つ乗せてやる。すると、後から後から、あはて者が蟇口を開いて、小銭を彼に与へる。彼の掌の上ではいつの間にか銭がたまってゐる。
 さて皆さん、落ついて考へて下さい。かの見苦しい男は、けっして乞ふてはゐないのです。ただひとり言を言って歩いてゐるだけの話です。
 それを見て、おせっかいな人が、もしくは慌て者が、得々として慈善心をほころばせて財布を開ける。と、皆々これに倣ふ、といふ筋書です。これは素敵な台本です。
 この男は、「慈善心を食ふ」こ
前へ 次へ
全10ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
添田 唖蝉坊 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング