ある。「立山」を一つ弾いてから、
「今度は春雨でもやってみよう、しめっぽいものより陽気な方がいいからね」
誰にともなくいふ。さも楽しんでゐるかのやうな話し振りだ。金を彼の膝の脇へ置く者があると、
「ヤ、どうもありがたう」
といかにも晴ればれと、まるで友達にでも挨拶するやうだ。しかもけっして反感を抱かせない快朗な声である。彼はけっして乞はない。泣言を言はない。彼の指のない理由についても、彼自身からしゃべることはけっしてない。誰かが執拗に尋ねたならば、彼はかく簡単に答へる。
「これですかい、工場でやられてね。どうもしやうがない、しばらく寝てゐたが、もう働らくこともできない不具になったんだなといろいろ考へてる内に、ちょっとした拍子からこんなことをはじめてね、イヤどうも情けない仕儀でさア」
と、またもや弾きながら小声でうたってゐる。彼を中心とした一団はまことに蟠《わだかま》りがない。彼を卑しめることなく、煙管の折れとマッチの軸によって生じる音色に聴き惚れる。そして、金を置く者があると、
「ヤ、ありがたう」
と、まるで友達にでも挨拶するやうに、彼は礼をいふ。
風琴と老人
時代遅れ
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