、事に依つたらゴロロボフ本人が窓から見てゐはすまいかと思つた。
ソロドフニコフは意を決して踵を旋して、腹立たしげに外套の襟を立てて、帽を目深に被り直して、自分の内へ帰つた。
「丸で気違ひだ。人間といふものは、どこまで間違ふものか分からない」と、殆ど耳に聞えるやうに独言を言つた。
「併しなぜ己にはあんな考へが一度も出て来ないのだらう。無論考へたことはあるに違ひないが、無意識に考へたのだ。一体恐ろしいわけだ。かうして平気で一日一日と生きて暮らしてはゐる様なものの、どうせ誰でも死ななくてはならないのだ。それなのになんの為めにいろんな事をやつてゐるのだらう。苦労をするとか、喜怒哀楽を閲《けみ》するとかいふことはさて置き、なんの為めに理想なんぞを持つてゐるのだらう。明日は己を知つてゐるものがみな死んでしまふ。己が大事にして書いてゐるものを鼠が食つてしまふ。それでなければ、人が焼いてしまふ。それでおしまひだ。その跡では誰も己の事を知つてゐるものはない。この世界に己より前に何百万の人間が住んでゐたのだらう。それが今どこにゐる。己は足で埃を蹈んでゐる。この埃は丁度己のやうに自信を持つてゐて、性命を大
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