分までが、いつのまにかふわりふわりとんでいる。ふと見ると、おかあさんがこっちを見ながら、さもうれしそうに笑《わら》っている。
「ママ、ママ。ああなんていいとこだろう、ここは。」と、少年は声をはりあげて、また子どもたちとキスをする。早くこの子たちに、あのガラス窓《まど》の中の人形のことを、話してやりたくってたまらない。「きみたちは、どこの子なの。あんたは、どこの子なの。」と、すっかり
にこにこしながら、少年はたずねる。
「これは、エスさまのクリスマス・ツリーなのよ。」と、子どもたちは答える。「エスさまのところにはね、この日には、いつもきまって、クリスマス・ツリーがあるのよ。それは、あすこで自分のクリスマス、ツリーのない小さな子どもたちのために、立ててあるのさ。」
 だんだん聞いてみると、その男の子や女の子は、みんな自分と同じような身のうえの子どもばかりだった。中には、どこかの役人《やくにん》のうちの入口のところに、かごに入れたまま捨《す》て子にされて、こごえ死《し》んだのもいるし、乳母《うば》にそえ乳《ぢ》をされながら、息《いき》がつまって死んだ子もいる。大|飢饉《ききん》のときに、乳《ちち》の出なくなったおかあさんの乳首《ちくび》を、くわえたまま死んだ子もいるし、ぎっしりつまった三|等車《とうしゃ》の人いきれの中で、のどがつまって死んだ子もいる。それが今、残《のこ》らずここに集まって、みんな天使《てんし》のように、エスさまのところで遊《あそ》んでいる。そのエスさまは、どうかというと、みんなのまんなかで、両手《りょうて》をさしのべながら、子どもたちを祝福《しゅくふく》したり、罪《つみ》に泣《な》くおかあさんたちを祝福したりしていらっしゃる。……おかあさんたちも、ひとり残《のこ》らずその横手《よこて》に立っていて、さめざめと涙《なみだ》を流しながら、めいめい自分のむす子や娘《むすめ》を、目でさぐりあてる。すると子どもたちは、すぐそのそばへとんで行って、キスしたり、小さな手で涙をふいてあげたりしながら、自分たちはここでこんなにしあわせにしているのだから、どうぞ泣かないでくださいと、なだめている。……
 ところが、下界《げかい》では、そのあくる朝、まきのうしろへもぐりこんで、そのままこごえ死《し》んでいる少年の小さな死がいを、門番《もんばん》の人が見つけた。おかあさんをさが
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