ュてはいやだ。僕は自分で見たいのだ。もしその時分に死んでいたら、よみがえらしてもらわなくてはならない。なぜって、僕のいない時にそれが現われたんではあんまり癪《しゃく》にさわるじゃないか。実際僕が苦しんだのは、何も自分自身の体や、自分の悪行や、自分の苦行を肥やしにして、どこの馬の骨かわからないやつの未来の調和《ハーモニイ》を培《つちか》ってやるためじゃないんだからね。牡鹿《おじか》が獅子《しし》のそばにねているところや、殺されたものがむくむくと起き上がって自分を殺したものを抱擁《ほうよう》するところを、ちゃんと自分の眼で見届けたいのだ。つまり、万人がすべてのことがらを一斉に知る時に、僕もその場に居合わせたいのだ。地上におけるすべての宗教は、この希望の上に打ち建てられているのだ。しかし僕は信仰しているのだ。ところが、また例の子供だ、いったいわれわれはそんな場合、子供をどう始末したらいいのだろう? この問題が僕には解決できないのだ。何度でもくり返して言うが、問題は山ほどあるけれど、僕は子供だけを例にとった。というのは、僕の言わなければならないことが実に明瞭にその中に現われているからだ。いいか
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