かないではございませんか?」
「いや、そうではないのじゃ。あなたがこのことについて、そのように苦しみなされる……ただそれだけでたくさんなのじゃから。できるだけのことをなされば、そのうちに、うまく帳尻が合ってきますのじゃ。あなたがそれほど深く、真剣に自分というものを知ることができたからには、もはやあなたは多くのことを行なったわけになりますのじゃ! がもし、今あのように誠実に話されたのも、その誠実さをわしに褒《ほ》めてもらいたいがためだとすれば、もちろんあなたは実行的な愛の道で、何物にも到達されることはありませんぞ。すべてが空想にとどまって、一生は幻のごとくにひらめき過ぎるばかりなのじゃ。やがては来世のことも忘れ果てて、ついには勝手なあきらめに安んじてしまわれることはわかりきっておりますわい」
「あなたはわたくしをおしつぶしておしまいなされました! たった今あなたにそうおっしゃられて、わたくしははじめて気がつきました。ほんとにわたくしは、恩知らずな仕打ちを我慢することができないと白状いたしました時、自分の誠実さを褒めていただくことばかり当てにしておりました。あなたはわたくしに自分というものを知らせてくださいました。あなたはわたくしの正体を取り押えて、わたくしに見せてくださいました!」 
「あなたはしんから、そう言われるのかな? そういう告白をなされたからには、今こそわしは、あなたが誠実なかたで、善良な心を持っておいでだと信じますじゃ。よしや幸福にまでは至らぬにしても、いつも自分はよき道に立っておるということを覚えておって、その道を踏みはずさぬように心がけられたがよい。何より大切なのは偽りを避けることじゃ、あらゆる偽り、ことに自分自身に対する偽りを避けなければなりませぬ。自分の偽りを観察して、一時間ごと、いや一分間ごとにそれを吟味なさるのじゃ。それから、他人に対しても、自分に対しても、あまり潔癖すぎるのもよくありませんぞ。あなたの心の中にあってきたなく思われるものも、あなたがそれに気づいたという一事で、すでに清められておりますのじゃ。恐怖もやはり同じように避けなければなりませんぞ――もっとも、恐怖はすべて偽りの結果にほかならぬのじゃが。また愛の到達についても、けっして自分の狭量を恐れなさるな。そればかりか、その際に犯した自分の良からぬ行ないも、あまり恐れなさることはありませんじゃ。どうもこれ以上に愉快なお話しをすることができないのは残念じゃが、なにしろ実行的な愛は空想的な愛に比べると、なかなか困難な、そして恐ろしいものじゃからな。空想的な愛は急速な功績を渇望し、人に見られることを望むものじゃ。実際、極端なのは、まるで舞台の上かなんぞのように、一刻も早くそれが成就して、人に見て感心してもらいたいが山々で、それがためには命を棒に振っても惜しくない、というほどになるのじゃ。ところが、実行の愛となると、これはとりもなおさず労働と忍耐じゃ。またある人にとっては一つの立派な学問かもしれぬ。しかし前もって言っておきますがの、どのように努力をしても目的に達することができぬばかりか、かえってそれから遠のいて行くような気がして、慄然《りつぜん》とする時、そういう時、あなたは忽然として目的に到達せられるのじゃ。そして絶えずあなたを愛し、ひそかにあなたを導かれた神の奇跡的な力を自己の上にはっきりと認められるのじゃ。御免なされ、もうこれ以上あなたとお話しをしておるわけにまいりませぬのじゃ、待っておる人がありますでな。さようなら」
 夫人は泣いていた。
「リーズを、リーズを、どうぞあれを祝福してくださいまし、祝福して!」不意に彼女は飛び上がった。
「お嬢さんは愛を受ける値打ちがありませんじゃ。お嬢さんが初めからしまいまでふざけておられたのを、わしはちゃんと知っておりますぞ」と長老は冗談まじりに言った。「あんたはどういうわけで、しじゅうアレクセイをからかいなさったのじゃ!」 
 事実リーズは初めからしまいまでその悪戯《いたずら》に心を奪われていたのである。彼女はもうとうから――この前のときから、アリョーシャが彼女に羞《はに》かんで、なるべく彼女のほうを見まいとしているのに気がついた。それが彼女にはひどくおもしろかったのだ。彼女は根気よく待ち構えて、相手の視線を捕えようとした。アリョーシャはしつこく自分に注がれた視線に耐えきれないで、打ち勝ちがたい力に引きずられて、不覚にも自分から娘のほうを見やる。とたちまち彼女はまともに相手の顔を見つめながら、勝ち誇ったような微笑をにっと浮かべる。アリョーシャはいっそう羞《はに》かんで焦《じ》れるのであった。とうとうしまいには、彼はすっかり顔をそむけて、長老の後ろへ隠れてしまった。数分の後、彼はまた同じ打ち勝ちがたい力に引き寄せ
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