って来た客に対しても、彼は挨拶をしなかった。それは自分が人の指揮監督を受ける身分で、対等の人間ではないからと遠慮したのである。
ゾシマ長老は別の道心とアリョーシャに伴われて出て来た。僧たちは立ち上がって、指の先が床に届くほど、きわめてうやうやしく彼に敬礼した。それから長老の祝福を受けると、その手に接吻するのであった、彼らを祝福してから、長老もやはり指が床につくくらい一人一人に会釈を返して、こっちからもいちいち祝福を求めた。こうした礼式はまるで毎日のしきたりの型のようではなく、非常に謹厳にほとんど一種の感激さえ伴っていた。しかしミウーソフにはいっさいのことが、わざとらしい思わせぶりのように見えた。彼はいっしょにはいった仲間の先頭に立っていた。で、よし彼がどんな思想をいだいているにもせよ、ただ礼儀のためとしても(ここではそれが習慣なのだから)、長老のそばへ寄って祝福を受けなければならぬ、手を接吻しないまでも、せめて祝福を乞うくらいのことはしなくてはならない――それは彼が昨夜から考えていたことである。ところが、今こうした僧たちの会釈や接吻を見ると、彼はたちまち決心を翻してしまった。そしてもったいらしくきまじめに、普通世間一般の会釈をすると、そのまま椅子《いす》の方へ退いてしまった。フョードル・パーヴロヴィッチも非常にものものしい丁寧な会釈をしたが、やはり直立不動の姿勢をとっていた。カルガーノフはすっかりまごついてしまって、まるっきりお辞儀もしなかった。長老は祝福のために上げかけた手をおろして、もう一度客に会釈をして着席を乞うた。紅潮がアリョーシャの頬に上った。彼は恥ずかしくてたまらなかった。不吉な予感が事実となって現われ始めたのである。
長老は革ばりの、恐ろしく旧式な造りのマホガニイの長椅子に腰をおろし、二人の僧を除く一同の客を、反対の壁ぎわにある、黒い革のひどくすれた四脚のマホガニイの椅子に、並んで坐《すわ》らせた。二人の僧は両側に、一人は戸のそばに、もう一人は窓ぎわに座を占めた。神学生とアリョーシャと、もう一人の道心とは立ったままであった。僧房全体が非常に狭くて、なんとなく殺風景であった。調度や家具の類は粗末で貧弱な、ただもうなくてはならない品ばかりであった。鉢植えの花が窓の上に二つと、それから部屋の隅にたくさんの聖像が掛けてある――その中の一つは大きな聖母の像で
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