闡Sく思いがけなく、うっかりベンチへ腰をおろしてしまった。この一瞬間、彼はほとんど恐怖に近いものを感じた。そのことは後になってもよく覚えていた。スメルジャコフは両手を背後へ回したまま、その前に立って、自信ありげなほとんどいかついくらいな眼眸《まなざし》で彼を見つめた。
「まだおやすみでございます」と彼は急《せ》かずに言った。(『口をきいたのはおまえさんのほうが先で、こちとらじゃないよ』とでも言っているようだ)「若旦那、あなたには驚いてしまいますよ」ちょっと口をつぐんでから、わざとらしく眼を伏せながら、彼はこうつけ加えると、右の足を一歩前へ踏み出して、エナメル塗りの靴の爪先を無意味に動かすのであった。
「どうして僕に驚いてしまうんだい?」イワン・フョードロヴィッチは一生懸命におのれを抑制しながら、ぶっきらぼうな荒々しい調子でこう言ったが、不意に、自分はなみなみならぬ好奇心をいだいていて、それを満足させないあいだは、どんなことがあってもこの場は離れられそうにないと気がつくと、われながらいやな気がした。
「どうして、あなたは、チェルマーシニャへお出かけになりませんので?」と、不意にスメルジャコフは眼を上げて、なれなれしくにっこり笑った。『なぜこちとらが笑ったのか、おまえさんにはわかってるはずだよ、もしおまえさんが賢い人間ならばね』そう細められた彼の左の眼が言っているように思われた。
「なんのために僕がチェルマーシニャへ行くんだ?」イワン・フョードロヴィッチはちょっとめんくらった。スメルジャコフはまたちょっと口をつぐんでいた。
「フョードル・パーヴロヴィッチのほうから、あなたにそれをお頼みになったのではありませんか」ついに彼はこうゆっくりと言ったが、自分でもこの答えをたいして重要なものとは思っていないらしい。これはただ何か言わないわけにはいかないからつまらないことをもちだしてごまかすだけだとでもいった様子であった。
「やい、こん畜生、もっとはっきり言え、貴様はどうしたいって言うんだ?」とうとうイワン・フョードロヴィッチはおとなしい態度から、荒々しい気勢に転じながら、腹立たしそうにどなった。
スメルジャコフは前へ踏み出していた右足を左足へ引きつけて、しゃんと体をまっすぐにしたが、しかし依然として落ち着きはらって薄笑いを浮かべたまま、相手の顔を見つめていた。
「いえ、別にたい
前へ
次へ
全422ページ中400ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ドストエフスキー フィヨードル・ミハイロヴィチ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング