ウん、お父さん、お父さん!』と泣きわめいているが、しまいには、それもできないで、ぜいぜいいうようになる。時には、そういった鬼のような残酷な所業のために、事件が裁判ざたになることもある。すると弁護士が雇われる――ロシア人は弁護士のことを『弁護士はお雇いの良心だ』などと言っているが、この弁護士が自分の依頼者を弁護しようと思って、『これは通常ありがちの簡単な家庭的事件です。父親が自分の娘を折檻したまでの話じゃありませんか。こんなことが裁判ざたになるというのは、現代の恥辱であります』とわめきたてる。陪審員はそれに動かされて別室へ退き、やがて無罪の宣言が与えられる。民衆はその折檻者が無罪になったからといって、歓声をあげるという段取りでな。ちぇっ、僕がその場に居合わせなかったのは残念だよ! 僕がいたら、その冷酷漢の名誉を表彰するために奨励金支出の議案でも提出してやったんだのに!……実にすばらしいポンチ絵だよ。しかし、子供のことなら、僕の収集のなかにもっとおもしろいのがあるよ。僕はロシアの子供の話をうんとうんと集めてるんだぜ、アリョーシャ。五つになる小っちゃな女の子が両親に憎まれた話というのがある。その両親は『名誉ある官吏で、教養ある紳士淑女』なんだよ。僕はいま一度はっきり断言するが、多くの人間には一種特別な性質がある。それは子供の虐待だ。しかも、子供に限るのだ。他の有象無象に対するときは、最も冷酷な虐待者も、博愛心に富み、教養の豊かなヨーロッパ人でございといった顔をして、いやに慇懃《いんぎん》で謙遜《けんそん》な態度を示すけれど、そのくせ、子供をいじめることが大好きなんだ。この意味において子供そのものまでが好きなのだ。つまり、子供のがんぜなさが、この種の虐待者の心をそそるのだ。どことして行く所のない、誰ひとり頼る者もない小さい子供の、天使のような信じやすい心――これが虐待者の忌まわしい血潮を沸かすのだ。あらゆる人間の中には野獣が潜んでいる。それは怒りっぽい野獣、責めさいなまれる犠牲者の泣き声に情欲的な血潮をたぎらす野獣、鎖を放たれて抑制を知らない野獣、淫蕩《いんとう》のためにいろいろな病気――足痛風だとか、肝臓病だとかに取っつかれた野獣なのだ。で、その五つになる女の子を教養ある両親がありとあらゆる拷問《ごうもん》にかけるのだ。自分でも何のためやらわからないで、ただむしょうに打つ
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