烽スらすものであることがわかるはずである。ところが、それをわずらわしく思って不平を鳴らすような者は、修道士でないも同然で、そもそも修道院などへはいって来る必要はなかったのである。こういう人の安住すべき場所は俗世間の中にある。罪悪や悪魔は俗世間ばかりでなく、修道院の中でも、やはり防ぎきれるものではない。だから、いささかの罪悪も黙許することはできないわけである』とこんな風に考えて、自説を主張するのであった。
「衰弱が加わって、嗜眠《しみん》状態に陥っておいでなさる」とパイーシイ神父はアリョーシャを祝福した後、小声で彼に伝えた。「もう、眼をおさましするのもむずかしいくらいだ、もっとも、そんな必要もないけれど、さきほど五分間ばかり目をさまされて、自分の祝福を皆に伝えてくれと頼まれ、また皆には、夜の祈祷《きとう》の際、自分のために祈ってもらって欲しいとの御伝言であった。明日はも一度、ぜひ聖餐《せいさん》を受けたいと申しておられる。それから、アレクセイ、おまえのことを思い出されて、もう出て行ったかと尋ねられたから、今、町へ行っておりますと申し上げたところ、『わしもそうさせるために祝福してやったのだ、あれのいるべき場所はあすこだ、当分はここにおらんほうがよい』と、こんな風におまえのことを言われたぞ。それがいかにも愛情に溢《あふ》れた、心配らしい言い方であった。おまえは自分がどんなに心にかけられているかわかっているかな? けれど、長老がおまえの一身上について、当分のあいだ浮き世へ出ておれと言われたのは、どういうわけであろうな? おおかたおまえの運命について、何か見抜いておられることがあってのことだろう? しかし、アレクセイ、たとえおまえが俗世間へ帰るとしても、それは長老がおまえに授けられた一つの修行と見るべきで、けっして軽薄な無分別や浮き世の歓楽のためではないぞ、このことをよく胸に刻んでおくがよい……」
パイーシイ神父は出て行った、長老は、たとえ一日二日は生き延びるとしても、所詮《しょせん》瀕死《ひんし》の状態にあるのだということはアリョーシャにとって、もはや疑いもない事実である。アリョーシャは父をはじめとしてホフラーコワ母娘や、兄や、カテリーナ・イワーノヴナなどと面会の約束はしてあるけれど、明日はけっして修道院の外へ一歩も出ないで、長老の臨終までそのかたわらに付き添っていようと
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