蛯、? ほんとにお可愛い、おきれいな、とてもたまらないようなお嬢様!」
彼女は接吻の『勘定を済ます』という変な目的で、その手をそっと自分の唇へ持って行った。カテリーナ・イワーノヴナはけっしてその手を引っこめはしなかった。彼女はおずおずした希望をいだきながら、あの奇妙な言い回しではあるが、『奴隷のように』望みのままになるという、グルーシェンカの、最後の約束に耳を傾けたのであった。彼女は一心に相手の眼を見つめていた。その眼の中には相も変わらず、信じやすそうな、単純な表情と、朗らかな喜びの色がうかがわれた……。『この女はあまりに無邪気すぎるのかもしれない』という希望がカテリーナ・イワーノヴナの心をかすめた。そのあいだにグルーシェンカは『可愛いお手』に恍惚《こうこつ》となっているような様子で、そろそろとそれを唇のほうへ持って行った。しかも、唇のすぐそばまで持って行くと、不意に何か思案でもするように、二、三秒のあいだ、その手をそのままささえていた。
「ねえ、お嬢様」と不意に彼女は、恐ろしく物柔らかな甘ったるい声をひっぱるように言った、「ねえ、あたし、せっかくあなたのお手をいただきましたけれど、接吻はやめにしようと思いますわ」こう言って、彼女は、さもおかしそうに笑いだした。
「御随意に……いったいあなた、どうなすって?」とカテリーナ・イワーノヴナは不意にぶるっと身震いをした。
「じゃね、よく覚えておいてくださいな、あなたはあたしの手に接吻なさいましたけれど、あたしはしなかったってことをね」ふっと、彼女の眼の中で何やらきらりと光ったものがあった。彼女は恐ろしく執拗《しつよう》にカテリーナ・イワーノヴナの顔を見つめた。
「失礼な!」と不意に何か合点がいったらしく、カテリーナ・イワーノヴナはこう口走ると、かっとなって席を飛び上がった。グルーシェンカもゆっくりと立ち上がった。
「それでは、あたしミーチャにもさっそく電話してやりますわ、――あなたはあたしの手を接吻なさいましたけど、あたしのほうはまねもしなかったって、さぞあの人が大笑いすることでしょうよ!」
「けがらわしい、出ておいで!」
「まあ、恥ずかしげもなく、お嬢様、なんて恥ずかしいことでしょう、あなたのお身分でそんなはしたない口をおききになるなんて」
「出てお行き、売女《ばいた》!」とカテリーナ・イワーノヴナはわめき立てた。すっ
前へ
次へ
全422ページ中222ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ドストエフスキー フィヨードル・ミハイロヴィチ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング