期にも、彼はあまり感情を面に現わさなかったばかりか、むしろ口数の少ないほうであった。それはけっして臆病のためとか、無愛想で人づきが悪いためではなかった。それどころか、かえって、原因は何か他にある。つまり、きわめて個人的な、他人にはなんの関係もない、自分だけの内心の屈託といったようなものであるが、それが彼にとっては非常に重大なものなので、このために他人のことは忘れるともなく忘れがちになるのであった。しかも彼は人を愛した。そして一生涯、人を信じきって暮らしたらしいが、かつて誰ひとりとして彼をばかというものもなければ、お人好しと考える者もなかった。彼の内部には、自分は他人の裁判官になるのはいやだ、そして他人を非難するのも好かないから、どんなことがあっても人を咎《とが》めない、とでも言っているようなところがあった(それはその後、一生を通じてそうであった)、事実、彼は少しもとがめ立てをせずに、ときには深い悲哀を感ずることもたびたびあったが、いっさいのことを許しているらしかった。この意味で、何びとも彼を驚かしたりおびやかしたりすることができないほどになっていた。二十歳の年に、まぎれもなく、けがらわしき淫蕩《いんとう》の巣窟たる父親の家に身を寄せてからも、童貞純潔な彼は、見るに忍びないときに、黙々としてその場をはずすばかりで相手が誰であろうとも、いささかの軽蔑をも非難をも見せなかった。かつてよその居候であったところから、侮辱に対しては敏感で繊細な神経を持っていた父親は、最初は、腑《ふ》に落ちないような、気むずかしい態度で、『黙り者の腹はさまざま』といった風で彼を迎えたが、結局は、まだ二週間ともたたないうちに、絶えず彼を抱きしめて、接吻するようになった。もっとも、それは泣き上戸の感傷の涙まじりにではあったが、しかも彼のような人間には、ほかの何びとにも感ずることのないような、深い真実な愛情がありありと見えていた……。
 それに、この青年はどこへ行っても人に好かれた。それはまだ幼い子供のときからそうであった。自分の恩人で養育者たるエフィム・ペトローヴィッチ・ポレーノフの家へ引き取られると、彼はこの家のあらゆる人たちをすっかり引きつけてしまって、全く本当の子供と同様に見なされたものであった。それにしても、彼がこの家庭へはいったのは、まだきわめて幼少のころで、こんな子供に打算的な悪知恵や、
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