そこで、もしも読者がこの最後の主張に賛成なさらずに、『そうではない』とか、『必ずしもそうではない』と答えられるとすれば、自分はむしろわが主人公アレクセイ・フョードロヴィッチの価値について大いに意を強うする次第である。というのは、奇人は『必ずしも』特殊なものでも、格別なものでもないばかりか、かえって、どうかすると彼が完全無欠の心髄を内にもっているかもしれず、その他の同時代の人たちは――ことごとく、何かの風の吹きまわしで、一時的にこの奇人から引き離されたのだ、といったような場合がよくあるからである……。
それにしても、自分は、こんな、実に味気ない、雲をつかむような説明にうき身をやつすことなく、前口上などはいっさい抜きにして、あっさりと本文に取りかかってもよかったであろう。お気にさえ召せば、通読していただけるはずである。ところが、困ったことには、伝記は一つなのに、小説は二つになっている。しかも、重要な小説は第二部になっている――これはわが主人公のすでに現代における活動である。すなわち、現に移りつつある現在の今の活動なのである。第一の小説は今を去る十三年の前にあったことで、これはほとんど小説《ロマン》などというものではなく、単にわが主人公の青年時代の初期の一刹那《いっせつな》のことにすぎない。そうかといって、この初めの小説を抜きにすることはできない。そんなことをすれば、第二の小説の中でいろんなことがわからなくなってしまうからである。しかも、そうすれば自分の最初の困惑はいっそう紛糾してくる。すでにこの伝記者たる自分自身からして、こんなに控え目で、つかみどころのない主人公には、一つの小説でもよけいなくらいだろうと考えているのに、わざわざ二つにしたら、いったいどんなことになるであろう。それにまた、自分のこの不遜《ふそん》なやり口を、どうして説明したらよいであろう?
自分はこの問題の解決にゆき悩んだあげく、ついに、全く解決をつけずにいこうと決心した。もとより炯眼《けいがん》な読者はすでに、そもそもの最初から私がそんなことを言いそうだったと、早くも見抜いてしまって、ただ、――なんのために、むやみに役にも立たない文句を並べて、貴重な時間を浪費するのかと、私に対して腹を立てられたであろう。しかし、これに対しては、はっきりとこうお答えしよう。すなわち自分が役にも立たない文句を並べて、貴
前へ
次へ
全422ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ドストエフスキー フィヨードル・ミハイロヴィチ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング