だ。金は両手ですくって投げてやる、音楽だ、騒ぎだ、ジプシイだ。必要があればそんな連中にも金をやる。すると取るわ、取るわ、気ちがいのようになって取る、これはおれも認めなくちゃならない。しかもみな満足してお礼を言うよ。奥さん連もおれを可愛《かわい》がってくれたよ。皆が皆というわけではないが、そんなこともあったっけ、よくあったっけ。だが、おれはいつも路地が好きだった。広場の裏の、暗い寂しい、曲がりくねった小路が好きだったよ、――そこには冒険がある、思いもかけぬことがある、泥の中に隠れた鉱石がある。いや、おれが言っているのは譬喩《たとえ》なんだよ。あの町には、実際に形をそなえた、そんな路地なんかありゃしなかったが、精神的な路地があったのさ。だが、おまえがおれのような人間だったらこの路地の意味がわかるんだけど。おれは放蕩を愛した、放蕩の恥辱をも愛した。そして残忍を愛したのだ。これでもおれは南京虫《ナンキンむし》じゃなかろうか、あの有害な虫けらでは? なにしろカラマゾフだからなあ! ある時、町じゅう総出でピクニックをやったことがあるよ。七台の三頭立橇《トロイカ》で出かけたんだ。冬のことだったがな、橇《そり》の中の暗闇にまぎれて、おれは隣に坐っていた娘の手を握りしめにかかったんだ、その娘にひとつ接吻を許させようと思ったのさ。それは官吏の娘で、可哀《かわい》そうな、優しい、しおらしいすなおなやつだったがね。とうとうおれに許したのだ。闇の中で、何もかも許してしまったんだ。可哀そうに、その娘は、すぐあくる日にもおれが行って、結婚の申しこみをするものと思っていたのさ、なにしろ、おれは花婿《はなむこ》としての値打ちを認められていたんだからなあ。ところが、その後おれは、その娘にひと言も物を言わなかったんだ。五か月というもの、ただの半口も口をきかなかったんだ。舞踏会などのおりに(あの町では、やたらに舞踏会をやったものさ)、よくその娘の眼が広間の隅からじっとおれのあとを追っているのに気がついたよ、温順な憤りの火に燃え立っているのをよく見受けたものだよ。こんな遊戯は、おれが内心に養っている虫けらの欲情を慰めたにすぎないのだ。五か月たって、その娘はある官吏に嫁《とつ》いで町を去ってしまった……腹を立てながらも、それでもたぶんこのおれを愛したままで……。今その夫婦は仕合わせに暮らしているよ。ところでお
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