ぬことがあって、それをよくのみこんでおこうとするかのように、じっと視線を凝《こ》らしながら、何事かを待っていた。とうとうミウーソフは、決定的に自分がはずかしめられ、けがれたような心持を覚えた。
「この醜態の責任はわれわれ一同にあるのです!」と彼は熱した口調で語りだした。「しかし僕はここへ来る道すがらも、まさかこうまでとは思いもよらなかったのです。もっとも、相手が誰だかってことは承知していましたけれど……これは即刻けりをつけなくちゃなりません! 猊下《げいか》、どうぞ信じてください。僕は今ここで暴露された事実の詳細を知らなかったのです。そんなことは本当にしたくなかったのです……全く今が初耳なのです……現在の父親が卑しい稼業の女のことで息子を嫉妬して、当の売女《じごく》とぐるになって息子を牢へ入れようとするなんて……。僕はこんな連中と共にこちらへまいるように仕向けられたのです……だまされたのです、皆さんの前で言明します、僕は誰にも劣らずだまされたのです……」
「ドミトリイ・フョードロヴィッチ」突然、フョードル・パーヴロヴィッチが、何かまるで借物のような声を振り絞った。「もし、おまえさんがわたしの息子でなかったら、わたしは即刻、おまえさんに決闘を申しこむところなんだ……武器は拳銃《ピストル》、距離は三歩……ハンカチを上からかぶせてな……ハンカチを!」彼はじだんだを踏みながら、ことばを結んだ。
 こうした、生涯を茶番狂言に終始した嘘つき親爺でも、興奮のあまり実際に身震いをして泣きだすほどの、真に迫った心持になる瞬間があるものである。もっともその瞬間(もしくはほんの一秒もしてから)に、『えい、恥知らずの老いぼれめ、貴様がどんなに『神聖な』怒りだの『神聖な』怒りの瞬間を感じたって、やっぱり貴様は嘘をついているのだ、今でも茶番をやっているのだ』と肚の中でつぶやくのではあるが。
 ドミトリイ・フョードロヴィッチは恐ろしく顔をしかめて、なんとも言いようのない侮蔑《ぶべつ》の色を浮かべながら、父をちらっと眺めた。
「僕は……僕は」と彼は妙に静かな、押えつけるような声で言った。「僕は故郷《くに》へ帰ったら、自分の心の天使ともいうべき未来の妻といっしょに、父の老後を慰めようと思っていたのです。ところが来てみると、父は放埒《ほうらつ》きわまる色情狂で、しかも卑劣この上もない茶番師なんです!」
前へ 次へ
全422ページ中102ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ドストエフスキー フィヨードル・ミハイロヴィチ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング