がまたかえって非常に陰険な影を添えるのであった。それからドミトリイ・フョードロヴィッチは無言のまま、部屋の中にいる一同に会釈を一つして、例の活発な大またで窓のほうへ近寄ると、パイーシイ神父のそばにたった一つ残っていた椅子に腰をおろして、からだをすっかり乗り出すようにして、自分がさえぎった会話の続きを聞く身構えをした。
 ドミトリイ・フョードロヴィッチの出席には、ほんの二分かそこいらしか暇どらなかったので、会話はすぐに続けられなければならぬはずであった。ところが今度は、パイーシイ神父の執拗な、ほとんどいらいらした質問に対して、ミウーソフはもう返事をする必要を認めなかった。
「どうか、この話はやめさせていただきたいもんですね」と彼は世間慣れたむとんじゃくな調子で言った。「それになかなかむずかしい問題ですからね。御覧なさい、イワン・フョードロヴィッチがこちらを見てにやにやしていますよ。きっとこの問題についても何かおもしろい説があるんでしょう。この人にひとつ聞いて御覧なさい」
「いや、ほんのちょっとした感想のほか、別に説というほどのことはないんですよ」とイワン・フョードロヴィッチはすぐに答えた。「一般にヨーロッパの自由主義ばかりでなく、ロシアの自由主義的|素人道楽《ディレッタンチズム》までが、久しい以前から、社会主義の結末とキリスト教の結末とをしばしば混同しています。こうした奇怪千万な推断は、もちろん、彼らの特性を暴露するものであります。しかし、つまるところ、社会主義とキリスト教とを混同するのは、単に自由主義者とディレッタントばかりではなく、多くの場合、憲兵もその仲間にはいるようですね。もっとも、これはもちろん外国の憲兵のことですが。ミウーソフさん、あなたのパリのお話にはなかなか妙味がありますよ」
「全体として、やはりこの問題はやめていただきたいですね」とミウーソフはくり返した。「その代わりに僕は、当のイワン・フョードロヴィッチに関する、非常に興味に富んだ、最も特性的な逸話を、もう一つ皆さんにお話しいたしましょう。つい五日ばかり前のことですが、当地の、おもに婦人ばかりの会話の席で、イワン・フョードロヴィッチは堂々と、こんな議論をはかれたのです。すなわち、地球上には人間同士の愛を強制するようなものはけっして存在しない。人類を愛すべしというような法則はけっしてない。もしこの地上
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