ら六|露里《エルスター》ほど離れた村から連れられて来たので、以前もちょいちょい来たことがあった。
「ああ、あれは遠方の人じゃ」と、けっして年を取ってるわけではないが、恐ろしく痩せほうけて、日に焼けたというではなくて、まっ黒な顔をした、一人の女を指さして、彼は言った。その女はひざまずいて、じっと目をすえたまま見つめていた。その目の中にはなんとなく法悦の色があった。
「遠方でござりますよ、神父様、遠方でござりますよ、ここから二、三百露里もござります。遠方でござりますよ、神父様、遠方でござりますよ」と、首をふらふらと左右に振るようなあんばいに掌へ片頬を載せたまま、歌でもうたうように女は言った。その口調がまるで愚痴をこぼしているようであった。民衆のあいだには無言の、どこまでもしんぼう強い悲しみがある。それは、自己の内部に潜んで、じっと黙っている悲しみである。しかし、また張ち切れてしまった悲しみがある。それはいったん涙と共に流れ出すと、その瞬間から愚痴っぽくなるものである。それはことに女に多い。しかし、これとてもけっして無言の悲しみより忍びやすいわけではない。愚痴というものは、ひときわ心を刺激し、掻《か》きむしることによって、ようやく悲しみを紛らすばかりである。こうした悲しみは慰謝を望まないで、あきらめきれぬ苦悩を餌食にするものである。愚痴とは、ひたぶるに傷口を食い裂いていたいという要求にほかならない。
「町家の御仁じゃろうな?」と、好奇の目で女を見つめながら、長老は語をついだ。
「町の者でございます、神父様、町の者でございます。農家の生まれではございますが、今は町方の者でございます。町に住まっておりますんで。おまえ様に一目お目にかかりに参じました。お噂を聞きましたのでなあ。小さい男の子の葬いをしておいて巡礼に出たのでございます。三ところのお寺へお参りしましたところ、わたくしに、『ナスターチャ、こちらへ――つまりおまえ様のことでございますよ、――こちらへ行ってみろ』って教えてくれましたので、こちらへやって参じまして、昨日は宿屋に泊まりましたが、今日はこうしておまえ様のところへ参じましたんで」
「何を泣いておいでじゃな?」
「倅《せがれ》が可哀そうなのでございます、神父様、三つになる子供でございました、まる三つにたった三月足りないだけでございました。倅のことを思って苦しんでおる
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