驍竄、に顔を見た。
 ステパンは黙つてゐた。
「あなた相手は誰だとお思ひなさいますの。あの陛下でございます。」
「それは陛下を愛すると云ふことは、あなたにしろわたし共にしろ、皆してゐるのです。女学校にお出の時の話でせう。」
「いゝえ、それより後の事でございます。無論只|空《くう》にお慕ひ申してゐたので、暫く立つと、なんでもなくなつてしまひましたのですが、お話いたして置かなくてはならないのは。」
「そこで。」
「いゝえ。それが只プラトオニツクマンにお慕ひ申したと云ふばかりではございませんでしたから。」
 言ひ放つて、女は両手で顔を隠した。
「なんですと。あなた身をお任せになつたのですか。」
 女は黙つてゐた。
 ステパンは跳り上つた。顔の色は真つ蒼になつて表情筋《へうじやうきん》の痙攣を起してゐる。此時ステパンが思ひ出したのはネウスキイで帝に拝謁した時、帝が此女と自分との約束が出来たのを聞かれて、ひどく喜ばしげに祝詞を述べられたことである。
「あゝ。ステパンさん。わたくしは飛んだ事を申し上げましたね。」
「どうぞもうわたくしに障《さは》らないで下さい。障らないで下さい。あゝ。実になんとも
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