る。背の高いステパンは、娘の前に衝つ立つて、両手で軍刀の柄《つか》を押へてゐるのである。
ステパンは恥かしげに微笑みながら云つた。「わたしは今になつて始めて人間と云ふものゝ受けられる幸福の全範囲が分つたのですね。」夫婦の約束をしてから暫くの間は、もうぞんざいな詞《ことば》を使ふ権利がありながら、まだそれを敢てしないものである。ステパンは今その時期になつてゐて、マリイを尊《たつと》いものゝやうに見上げてゐるので、その天使のやうな処女《をとめ》にお前なんぞと云ふ事は出来にくいのである。ステパンはやうやうの事で語を次いだ。「どうもお前のお蔭でわたしは自己と云ふものが分つたのだね。さて分つて見れば、わたしは最初一人で考へてゐたより、余程善良なのだね。」
「あら。わたくしの方ではそれがとうから分つてゐましたの。だからわたくしあなたが好になつたのでございますわ」
すぐ側でルスチニア鳥が一声啼いた。そして若葉が風にそよいでゐる。
ステパンはマリイの手を取つてそれに接吻した。その時目には涙が湧いて来た。
これはあなたが好になつたと云つた礼だと云ふ事を、マリイは悟つた。
ステパンは黙つて二三
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