ンの死骸はサン・ステフアノの寺に葬られた。両手を赤い創の上に組み合はせて葬つたのである。葬式が済んでからも我々は同じ疑惑を除くことが出来ない。バルバリゴだらうか、ヲレダンだらうか、ピルミアニだらうか、それともボツタロルだらうか。我々は出逢ふ度毎に猜疑の念を起さずにはゐられない。握手するにも気が置かれてならぬ。
 絶えずかう云ふ不安の念に悩まされて、次第に双方機嫌の悪くなつたバルバリゴとボツタロルとは、とう/\争論をして決闘することになつた。争論の生じた真の原因は公に言はれぬので、二人は詰らぬ尾籠な事を表向の理由にした。ボツタロルは負傷した。バルバリゴはそのために大陸へ逃亡しなくてはならなくなつた。
 己は深い悲みに沈んだ。それはアルドラミンの死を忘れることが出来ぬからである。レオネルロは己を慰めようとした。種々《しゆ/″\》の楽器を弄することが上手なので、その音色で己の鬱を散じてくれようとした。己とレオネルロとは相変らず毎日逢つてゐる。此男を疑ふ念は一|度《たび》も己には萌さなかつた。此男は物柔なのと物事を打ち明けるのとで、己を陰気な思想に耽らせぬやうにして、己の絶えず胸に思つてゐる事を口に出させずにゐた。
 或る日己はヲレダンに逢つた。ヲレダンはレオネルロはどうしてゐるかと問うた。丁度レオネルロが己の館に住むことになつてから、暫く立つた時の事である。ヲレダンは己の返事を聞いた後に、毒々しい笑をして、「暗い所では用心してゐ給へよ」と云つた。己は胸を裂かれるやうな気がした。レオネルロとの交誼を傷ける詞だからである。
 レオネルロは己の憂鬱が日々加はるのを見て、己に旅行を勧めた。理由として言つたのは、ロオマに用事があると云ふことゝ、それからパレルモから手紙が届いて、急に帰つて貰ひたいと云つて来たと云ふこととの二つである。己はレオネルロが只此土地を離れようとしてゐて、口実を設けるのだと悟つたが、それを色にあらはさずに、其表面の理由を信ずるやうに粧《よそほ》つた。己は実にヱネチアの生活が厭になつてゐた。館に近いサン・ステフアノ寺の鐘の声は己の心を戦慄させる。それは悲惨なアルドラミンの事を憶ひ起させるからである。己はレオネルロの勧誘に応じて、少しばかりの旅の支度をして、あの波に洗はれて窪んでゐる館の石級を降りた。其時己は度々アルドラミン家の白い石壁を振り返つて見た。赤い大理石
前へ 次へ
全25ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
レニエ アンリ・ド の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング