負けじ魂の草紙を洗う姿を描くことに思い到ったのは、全く金剛先生のこの入神の芸術を拝見したがためでありましょう。

 私の草紙洗小町は、いわば金剛先生の小町の面を生きた人の顔に置きかえただけで、モデルは金剛先生で、私は先生からあの画材をいただいたという次第であります。

       砧

 これは九州芦屋の何某にて候。我自訴の事あるにより在京仕りて候。かりそめの在京と存じ候へども、当年三歳になりて候。あまりに故郷《ふるさと》の事心もとなく候程に、召使ひ候夕霧と申す女を下さばやと思ひ候。いかに夕霧、あまりに故郷心もとなく候程に、おことを下し候べし。この年の暮には必ず下るべき由心得て申し候へ……

 謡曲「砧」は、こういううたい出しにて、主人の命をうけた夕霧が筑前国の芦屋の館へ下って、芦屋某の妻に会って、その主人の伝言をつたえるのであります。
 三年の間、ひとり佗しく主人の帰館を待っていた妻は、帰って来たのは主人ではなくて召使いの夕霧であったのでがっかりするが、しかしせめて愛《いと》しの背の君の消息をきけたことを慰めとして、よもやまの京の都の話や、主人の苦労のことを話しあっていると、どこからか、タンタンタンという珍しい音が、夜のしじまを破って聞えて来たので、館の妻は不審がって、
「あら不思議や何やらんあなたにあって物音のきこえ候。あれは何にて候ぞ」
「あれは里人の砧《きぬた》擣《う》つ音にて候」
「げにや我が身の憂《う》きままに、古事《ふるごと》の思ひ出でられて候ぞや。唐《もろこし》に蘇武といひし人、胡国とやらんに捨て置かれしに、故郷に留《とど》め置きし妻や子、夜寒の寝覚を思ひやり、高楼に上つて砧を擣《う》つ。志《こころざし》の末通りけるか、万里の外なる蘇武が旅寝に故郷の砧きこえしとなり。妾《わらは》も思ひ慰むと、とてもさみしきくれはとり、綾の衣を砧にうちて心慰まばやと思ひ候」
「いや砧などは賤しきものゝ業にてこそ候へ、さりながら御心慰めん為にて候はゞ、砧をこしらへてまゐらせ候べし」
 このような問答のすえに、館の妻は京の都の夫の胸へひびけよと、怨みの砧に愛情をこめてタンタンタンタンと擣つのですが、その想いが遂には火となり、その霊は夫のもとへ飛ぶのであります。私はこの館の妻の夫を想う貞節の姿を「砧」の絵の中に写しとってみたのであります。

 想いを内にうちにと秘めて、地熱のごとき女の愛情を、一本の砧にたくしてタンタンタンと都に響けとそれを擣つところ、そこに尊い日本女性の優しい姿を見ることが出来るのではないでしょうか。
 口に言えぬ内に燃え上る愛の炎……その炎を抱いているだけに、タンタンタンと擣《う》つ砧の音は哀々切々たるものがあったであろうと思います。

 私の「砧」の絵は、いま正に座を起って、夕霧がしつらえてくれた砧の座へ着こうとする、妻の端麗な姿をとらえたものであります。
 昭和十三年の文展出品作で「草紙洗小町」の次に描いたものです。

 謡曲には時代はハッキリ明示してありませんが、私は元禄時代の風俗にして砧のヒロインを描きました。
 砧|擣《う》つ炎の情を内面にひそめている女を表現するには元禄の女のほうがいいと思ったからであります。



底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
   1976(昭和51)年11月10日初版発行
   1977(昭和52)年5月31日第2刷
入力:川山隆
校正:鈴木厚司
2008年4月5日作成
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